中国、江蘇(こうそ)省の南部、太湖(たいこ)北岸にある地級市。5市轄区を管轄し、江陰(こういん)、宜興(ぎこう)の2県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口480万9000(2015)。市は、滬寧(こねい)城際鉄道(上海(シャンハイ)―南京(ナンキン))と大運河に沿い、ここから錫澄(しゃくちょう)道路と錫澄運河が分岐する。前漢代に無錫県が置かれ、新の時代に有錫県と改められたが、後漢(ごかん)代に無錫県に復し、以後歴代これに倣った。1949年に市が分離設置された。
無錫の名は、かつて錫(すず)を産していたが、漢代には取り尽くしたことにちなむという。大運河の開通後は、水路が縦横無尽に走る太湖平原の農産物の集散地として発達し、さらに明(みん)代より綿紡績、製糸などの手工業も盛んとなった。清(しん)代には米の集散地として長沙(ちょうさ)、九江(きゅうこう)、蕪湖(ぶこ)とともに中国の四大米市の一つに数えられ、また江南地方随一の生糸の取引地となった。清末から民族資本により近代的な綿紡績工業が急速に発展し、中華人民共和国成立後は綿織物、絹織物、毛織物などの繊維工業をはじめ、機械、電子、時計、冶金などの工業が発達し、省第二の工業都市となった。2015年時点で、1人当りの域内総生産(GDP)は省内2位である。
また太湖地区の内陸水運の中心でもある。網の目のように発達したクリークのうち、直河が城内を貫流し、これに沿って商業地区が展開し、工業地帯は城外の北西部に延びている。1992年無錫ハイテク産業開発区を設置して早くから外資の誘致を推進。日本からもソニーやシャープ、東芝といった電機メーカーのほか、住友商事などが進出している。2004年には同区内に蘇南碩放(そなんせきほう)国際空港が開港した。
黿頭渚(げんとうしょ)公園、蠡園(れいえん)、錫恵(しゃくけい)公園、梅園などの名所・旧跡がある。
[林 和生・編集部 2017年2月16日]
2014年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「中国大運河」の構成資産として、無錫運河が世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。
[編集部 2017年2月16日]
中国,江蘇省南部,太湖の北岸にある省直轄市。人口143万(2000)。揚子江デルタ地帯の中でも最も早く居住がすすんだ地域で,呉の始祖である太伯が建てた梅里の都はこの付近であるといわれる。漢代に無錫県が設けられてより,地方都市として清代に至った。無錫の名は,元来ここにスズ(錫)鉱山があり,それを採掘し尽くしたためという伝承があるが,実証はない。大運河が開通してよりは水運の要衝として,また太湖漁業の基地として栄えた。明・清に江南で絹綿産業が発達すると,ここでも清に入ってから養蚕業や紡績業が広まり,上質ではないが耐久性にすぐれる一般用の織布で知られた。また近代に鉄道が通じてよりは,上海や蘇州に比べて用地の獲得が容易なことと,安価な農村の余剰労働力を得やすいことから,繊維,食品等の民族資本による軽工業がすすんで立地し,これにともなって商業も発達し,〈小上海〉と呼ばれたほどであった。解放後も,これらを基盤に各種の工業が発達し,省南部の有力な新興工業都市となっている。また太湖遊覧の観光基地であり,市内にはこのほか,王羲之の旧居とされる崇安寺,天下第二泉(恵山泉),梅園・蠡園(れいえん)などの園林がある。
執筆者:秋山 元秀
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… 工業は19世紀の中ごろから,列強の経済侵略の拠点である上海が中心となった。原料も労働力もすべてそこへ集中され,民族資本による小規模な工業が,上海の衛星都市ともいうべき無錫(むしやく),蘇州,常州,南通などで行われていたにすぎない。しかも,紡績や絹・綿織物,食品加工などが主で,もちろん重工業のごときはなかったのである。…
※「無錫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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