二十七年テーゼ(読み)ニジュウシチネンテーゼ

デジタル大辞泉 「二十七年テーゼ」の意味・読み・例文・類語

にじゅうしちねん‐テーゼ〔ニジフシチネン‐〕【二十七年テーゼ】

1927年、コミンテルンが決定し、日本共産党が採択した「日本問題に関する決議」の通称。当時の日本資本主義を分析し、当面する革命の性格と党の任務を明確にした最初の綱領的文書。→三十二年テーゼ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「二十七年テーゼ」の意味・読み・例文・類語

にじゅうしちねん‐テーゼニジフ‥【二十七年テーゼ】

  1. ( テーゼは[ドイツ語] These ) 昭和二年(一九二七)七月、日本共産党がコミンテルンと協議して正式に採択した最初の綱領的文書。中国との戦争にすすみつつある日本の資本主義矛盾を分析し、当面する革命の性格と日本共産党の任務を明らかにした。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「二十七年テーゼ」の意味・わかりやすい解説

27年テーゼ【にじゅうしちねんテーゼ】

1927年コミンテルンで採択された〈日本に関するテーゼ〉の通称。日本共産党が正式にもった最初の綱領。山川イズム福本イズムを克服するため,福本和夫渡辺政之輔徳田球一,河合悦三らを招集,日本問題特別委員会を組織して作成された。日本革命をブルジョア民主主義革命から社会主義革命への二段階革命と規定した。
→関連項目荒畑寒村講座派福本和夫

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「二十七年テーゼ」の意味・わかりやすい解説

二七年テーゼ
にじゅうしちねんてーぜ

1927年(昭和2)に決定されたコミンテルンの日本に関する方針書。正式表題は「日本問題に関する決議」。1926年12月の日本共産党第3回大会は、セクト主義的な福本イズムが指導方針となった。コミンテルンは日本共産党の代表をモスクワに招集し、この誤りを克服しようとした。コミンテルンと日本共産党の代表との協議で翌年7月に採択されたのが二七年テーゼである。二七年テーゼは、日本帝国主義による中国侵略戦争の切迫という情勢の下で、戦争へと進みつつある日本資本主義の矛盾を分析し、当面する日本革命の性格と日本共産党の任務を明らかにした。テーゼの最大の歴史的意義は、「君主制の廃止」による民主主義革命を強調するとともに、日本帝国主義の中国侵略を鋭く予見し、これを厳しく糾弾した点であった。テーゼは右翼日和見(ひよりみ)主義の山川主義と左翼日和見主義の福本主義を批判し、綱領的文書としては、初めて日本の革命運動に統一戦線の課題を提起した。しかし、コミンテルンの「社会民主主義主要打撃論」が反映したセクト主義、党防衛、スパイ挑発政策に対する警戒と闘争に十分な注意を払わないという弱点をもっていた。

犬丸義一

『日本共産党中央委員会『日本共産党の六十年』(1982・日本共産党中央委員会出版局)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「二十七年テーゼ」の意味・わかりやすい解説

27年テーゼ (にじゅうしちねんテーゼ)

日本共産党が,正式にもった最初の綱領。〈日本に関するテーゼ〉の通称。1927年7月のコミンテルン執行委員会幹部会決議を骨子として作成され,28年1~2月,コミンテルン機関紙に公表,《マルクス主義》3月号にも訳載される。1926年11~12月のコミンテルン第7回拡大執行委員会ではブハーリンの報告にもとづき,日本共産党再建大会をめぐる紛糾収拾がはかられた。その結果,山川均らを解党主義として非難する一方,福本和夫らの日本資本主義急激没落論や分離結合論も退けて労農党日本労農党の合同などをよびかけた。天皇制・地主制廃棄のブルジョア民主主義革命から社会主義革命への急激な展開の構想は,野呂栄太郎や服部之総らの絶対君主制としての天皇制把握を促した。しかし,党大衆化の方針は,労農党公認候補としての総選挙闘争にとどまり,直後の三・一五事件と労農党や評議会の解散命令で阻まれた。テーゼの各国語版にはかなりの異同があり,正文と目されるロシア語版テキストは現存しない。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二十七年テーゼ」の意味・わかりやすい解説

二十七年テーゼ
にじゅうしちねんテーゼ

1927年7月 15日,モスクワのコミンテルン日本問題特別委員会が決定した「日本問題に関する決議」。前年2月のコミンテルン執行委幹事会における日本問題の決議 (未公開) を受継いだもの。コミンテルンは相対立していた福本和夫山川均を両翼とする日本共産党内の理論をいずれも否認し,解体的状況にあった党の再建のため新たな方針を提起し,その遂行の義務を明らかにするものとして同テーゼを与え,同時に新中央委員 (渡辺政之輔ら) を任命した。日本代表団は帰国後,同年 12月1日拡大中央委員会を開催して二段階革命論の立場をとる同テーゼを確認,日本共産党は同テーゼのもとにその再建に取りかかった。テーゼは6章から成り,アジアにおける労働者,農民の闘争を掲げていた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の二十七年テーゼの言及

【コミンテルン】より

…これにたいしコミンテルンは解党を批判し,26年12月には第2次共産党が再建された。一方,コミンテルンは党の理論的支柱であった福本イズムをセクト主義と批判し,27年7月,日本問題特別委員会は日本における革命の課題に関する決議(27年テーゼ)を発表し,大衆的革命政党への脱皮の方向を示した。その後,日本の満州侵略と対ソ干渉の危険の増大という新しい状況をまえに,コミンテルンは共産党に根強く残る左翼セクト主義にたいする批判を強め,32年3月,執行委員会幹部会は再び日本問題に関するテーゼ(32年テーゼ)を採択した。…

【労農】より

…非合法の日本共産党によって刊行されていた雑誌《マルクス主義》等と革命戦略論争を展開したので,講座派に対して本誌に拠る人々を〈労農派〉と呼ぶようになった。その見解は,山川の創刊号巻頭論文〈政治的統一戦線へ!〉によって代表され,当時の国家権力を〈帝国主義的ブルジョアの政治権力〉と規定し,資本家地主のブロック権力論に立つ日本共産党の〈27年テーゼ〉に反対した。29年日本大衆党幹部の政府,財界との取引をめぐる清党問題が起こると,幹部追放を要求した猪俣と党の統一を重視した山川は対立し,猪俣は同人から脱退した。…

※「二十七年テーゼ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ

タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...

タコノキの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android