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日本共産党が,正式にもった最初の綱領。〈日本に関するテーゼ〉の通称。1927年7月のコミンテルン執行委員会幹部会決議を骨子として作成され,28年1~2月,コミンテルン機関紙に公表,《マルクス主義》3月号にも訳載される。1926年11~12月のコミンテルン第7回拡大執行委員会ではブハーリンの報告にもとづき,日本共産党再建大会をめぐる紛糾の収拾がはかられた。その結果,山川均らを解党主義として非難する一方,福本和夫らの日本資本主義急激没落論や分離結合論も退けて労農党と日本労農党の合同などをよびかけた。天皇制・地主制廃棄のブルジョア民主主義革命から社会主義革命への急激な展開の構想は,野呂栄太郎や服部之総らの絶対君主制としての天皇制把握を促した。しかし,党大衆化の方針は,労農党公認候補としての総選挙闘争にとどまり,直後の三・一五事件と労農党や評議会の解散命令で阻まれた。テーゼの各国語版にはかなりの異同があり,正文と目されるロシア語版テキストは現存しない。
執筆者:岩村 登志夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…これにたいしコミンテルンは解党を批判し,26年12月には第2次共産党が再建された。一方,コミンテルンは党の理論的支柱であった福本イズムをセクト主義と批判し,27年7月,日本問題特別委員会は日本における革命の課題に関する決議(27年テーゼ)を発表し,大衆的革命政党への脱皮の方向を示した。その後,日本の満州侵略と対ソ干渉の危険の増大という新しい状況をまえに,コミンテルンは共産党に根強く残る左翼セクト主義にたいする批判を強め,32年3月,執行委員会幹部会は再び日本問題に関するテーゼ(32年テーゼ)を採択した。…
…非合法の日本共産党によって刊行されていた雑誌《マルクス主義》等と革命戦略論争を展開したので,講座派に対して本誌に拠る人々を〈労農派〉と呼ぶようになった。その見解は,山川の創刊号巻頭論文〈政治的統一戦線へ!〉によって代表され,当時の国家権力を〈帝国主義的ブルジョアの政治権力〉と規定し,資本家地主のブロック権力論に立つ日本共産党の〈27年テーゼ〉に反対した。29年日本大衆党幹部の政府,財界との取引をめぐる清党問題が起こると,幹部追放を要求した猪俣と党の統一を重視した山川は対立し,猪俣は同人から脱退した。…
※「二十七年テーゼ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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