日本大百科全書(ニッポニカ) 「金融制度改革関連法」の意味・わかりやすい解説
金融制度改革関連法
きんゆうせいどかいかくかんれんほう
正式名称は「金融制度及び証券取引制度改革のための関係法律の整備等に関する法律」(平成4年法律第87号)である。同法は、1992年(平成4)6月19日に成立、同29日に公布、翌年4月1日から施行された。
日本の金融制度が本格的に確立・整備されたのは明治30年代ころであるが、そこではイギリス流の商業銀行主義の思想が反映された。すなわち「銀行は個別の分野に特化すべきである」という、分業主義の考え方である。この思想が、長い間、長短金融の分離、銀行・証券の分離、銀行・信託の分離などを取り決めた、日本の銀行制度の根底に流れていた。
分業主義の目的は、金融市場の過度の競争を抑え、金融機関に専門性の利益を与えることであった。それは日本の健全な金融制度の維持に寄与した。しかし、1973年(昭和48)の為替(かわせ)の変動相場制移行を端緒とした国際資金移動の活発化、また1980年代後半から1990年初頭にかけてのバブル経済の形成とその崩壊、などといった金融・経済環境の大きな変化を経験していくなかで、硬直的な金融制度はこれからの時代に逆行するものであるという認識が広がっていった。分業主義、換言すれば専門銀行制度、そのものを見直そうとする機運が高まってきたのである。
金融制度改革関連法の施行によって、銀行、証券会社、信託銀行は子会社の設立を通じて、相互の業務分野に参入できるようになった。また、信用組合、労働金庫、農協等での国債の募集の取扱いや外国為替業務が認められることになった。しかし、それは漸進的かつ段階的な改革という面が強く、そのため金融資本市場のいっそうの活性化を図るために、各種規制の大胆かつ可及的速やかな緩和・撤廃が、内外から求められることになった。それが、1996年11月のもう一つの金融制度改革、いわゆる「日本版金融ビッグバン」につながったのである。分業主義を形づくっていた銀行・証券の分離、銀行・信託の分離といった垣根規制はそのなかで実質的に解かれることになったのである。
[原 司郎]
『神田秀樹著「金融市場の業務分野規制」(堀内昭義編『講座・公的規制と産業 5 金融』所収・1994・NTT出版)』▽『木内嶢著「改革が求められる金融制度」(鈴木淑夫・岡部光明編『実践ゼミナール 日本の金融』所収・1996・東洋経済新報社)』▽『堀内昭義著「日本の金融制度改革展望――Path DependenceとAdaptive Efficiency」(『経済研究』第50巻第3号所収・1999・一橋大学経済研究所)』▽『鹿野嘉昭著『日本の金融制度』(2001・東洋経済新報社)』