日本大百科全書(ニッポニカ) 「H定理」の意味・わかりやすい解説
H定理
えいちていり
1872年にボルツマンが、気体分子の速度分布が衝突によって不可逆な緩和過程を示すことに関して提出した定理。1分子の位置、運動量をそれぞれr,pとしその分布関数をf(r,p,t)とする。これを用いて関数
の時間発展を考える。分布関数の時間変化において分子が互いに衝突して速度を変えていく過程を考慮すると、Hは時間の単調減少関数であることが示せる。Hがこれ以上減少しない状態になれば、それが熱平衡の状態であり、そのときのfがマクスウェルの速度分布則になることをボルツマンは示した。彼はこれによって熱現象の不可逆性の原因を説明しようとしたが、力学の可逆性(ロシュミットの逆行性批判)やJ・H・ポアンカレの再帰定理との矛盾(ツェルメロ)など多くの議論を呼び起こした。ボルツマンはそれに対し、H定理を導出するには、分子の衝突に関する力学的考察だけでなく、多数の分子の位置や速度に関する確率的・統計的な処理の導入が不可欠であることを示し、不可逆性は確率的なものであることを明らかにした。いいかえれば、系全体を表す多体系の分布関数は時間反転対称であるのが、一体の分布関数へ縮約する過程での情報の欠落が不可逆性の重要な要素になっている。なおHは系のエントロピーのミクロな表式である情報量的エントロピーに比例する量であり、H定理はエントロピー増大の原理を表している。
[宮下精二]