日本大百科全書(ニッポニカ) 「おもな講談の演目」の意味・わかりやすい解説
おもな講談の演目
おもなこうだんのえんもく
*は別に本項目のあることを示す。
伊賀の水月(いがのすいげつ)
仇討(あだうち)物。1634年(寛永11)11月7日、伊賀上野鍵屋の辻(かぎやのつじ)で、岡山池田家家中渡辺数馬(かずま)が義兄荒木又右衛門(またえもん)の助太刀(すけだち)を得て、弟源太夫(げんだゆう)の敵(かたき)河合又五郎を討った事件を扱ったもの。初代錦城斎典山(きんじょうさいてんざん)が練り上げた又右衛門の「三十六番斬(ぎ)り」が著名。
快男子(かいだんじ)
新講談。西郷隆盛(たかもり)の部下仁礼半九郎(にれはんくろう)の伝。婚約者との再会を念じて、城山(しろやま)より逃走した仁礼は、南洋に新日本列島を発見ののち自殺する。原作は『朝日新聞』連載の西村天囚(てんしゅう)の『快男児』(1893刊)。2代大島伯鶴(はっかく)が得意とした。
加賀騒動(かがそうどう)
評定(ひょうじょう)物。加賀藩前田家の御家騒動の釈化。6代藩主前田吉徳(よしのり)の寵愛(ちょうあい)を受けて出世をした大槻(おおつき)伝蔵が、大奥女中取締役浅尾を仲立ちに吉徳の愛妾(あいしょう)お貞(さだ)の方と密通、6代吉徳、7代宗辰(むねとき)を殺害するが、8代重煕(しげひろ)の毒殺に失敗。陰謀露顕し、伝蔵は自殺、浅尾は蛇責めで処刑となる。
寛永三馬術(かんえいさんばじゅつ)
武芸伝。寛永(かんえい)年間(1624~44)の馬術の名人で、義兄弟の、筑紫(つくし)市兵衛、曲垣(まがき)平九郎、向井蔵人(くらんど)の伝。いずれも架空の人物で、高畑新助、市森彦三郎、石黒藤兵衛がモデルと考えられる。平九郎愛宕(あたご)山梅花の勲(いさおし)のくだりは著名。
義士伝(ぎしでん)*
仇討物。赤穂(あこう)義士を読んだ講談で、「本伝」「銘々伝」「外伝」よりなる大長編。
清水次郎長伝(しみずのじろちょうでん)
三尺物。街道一の大親分清水次郎長こと山本長五郎(1820―93)の伝。森の石松、吉良(きら)の仁吉(にきち)らが活躍、荒神山(こうじんやま)のくだりは著名。松廼家太琉(まつのやたいりゅう)ら先人の読み物を3代神田伯山が完成、広沢虎造(とらぞう)が浪曲化した。
関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)
力士伝。明和(めいわ)(1764~72)ごろ活躍した大坂の人気関取、稲川と千田川の伝。八百長相撲(やおちょうずもう)を断られて敗れた鉄石は稲川を闇(やみ)討ちする。稲川の義兄弟の子千田川が2代目稲川を名のり、近江(おうみ)長浜で鉄石の首を折って仇(あだ)を討ち、井伊家抱えとなる。義太夫節(ぎだゆうぶし)、新内(しんない)節でも有名。
太閤記(たいこうき)
軍談。豊臣(とよとみ)秀吉の伝。長短槍(やり)試合、桶狭間(おけはざま)の戦い、洲股(すのまた)一夜城、天王山など山場が多く、秀吉びいきの心情に訴えるためか好まれた。江戸時代にもっとも行われた講談であり、近年では2代旭堂(きょくどう)南陵が得意とした。
天保怪鼠伝(てんぽうかいそでん)
白浪(しらなみ)物。2代松林伯円作。鼠小僧(ねずみこぞう)次郎吉の伝。鼠小僧は大名屋敷専門に荒らし、貧しい人々に施したので義賊といわれたが、1832年(天保3)召し捕らえられ、37歳で処刑された。『鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』(1858)として河竹黙阿弥(もくあみ)が歌舞伎(かぶき)に脚色。しじみ売りの少年に金を恵むくだりは人情咄(ばなし)にもなり、5代古今亭志ん生(しんしょう)が演じた。
天保水滸伝(てんぽうすいこでん)*
三尺物。飯岡助五郎(いいおかのすけごろう)、笹川繁蔵(ささがわのしげぞう)、勢力富五郎(せいりきのとみごろう)ら下総(しもうさ)の侠客(きょうかく)の争いの釈化。
天保六花撰(てんぽうろっかせん)*
世話物。河内山宗春(こうちやまそうしゅん)らが活躍。2代松林伯円の作で、3代錦城斎典山、5代神田伯竜が得意とした。
日蓮記(にちれんき)
高僧伝。日蓮聖人(しょうにん)の伝。安房小湊(あわこみなと)に生まれ、1233年(天福1)13歳で出家、鎌倉の辻(つじ)説法、伊豆流罪、竜ノ口法難、佐渡流罪、身延山結庵(みのぶさんけつあん)など波瀾(はらん)に富んだ62年の生涯を描く。
百猫伝(ひゃくびょうでん)
世話物。初代桃川如燕(じょえん)得意の読み物。有馬・鳥居・鍋島(なべしま)・成田屋など怪猫譚(たん)の総称であるが、1885年(明治18)刊の速記本には成田屋の猫のみ収める。2世市川団十郎の反対を押して結婚した役者の小幡(こはだ)小平次は、姦夫(かんぷ)のために殺されるが、かわいがっていた三毛猫が仇を討つ。団十郎の家にも怪猫は小平次の姿で現れるが斬(き)られ、初世団十郎の墓の傍らに葬られる。歌舞伎(かぶき)『百猫伝手綱染分(ひゃくびょうでんたづなのそめわけ)』『有松染相撲浴衣(ありまつぞめすもうのゆかた)』などに脚色された。
松山伊予守(まつやまいよのかみ)
端物。「この手紙を持参する者を斬れ」と書かれた手紙を携行していた無筆者が、内容を教えられて発憤する出世譚(たん)。1815年(文化12)長崎奉行(ぶぎょう)となった実在の松山伊予守に付会したもの。
水戸黄門漫遊記(みとこうもんまんゆうき)
政談。水戸藩主徳川光圀(みつくに)が隠棲(いんせい)後百姓に身をやつし、助さん・格さんの両名を供に諸国を漫遊し、各地で善を勧め悪を懲らす、北条時頼(ときより)の回国譚に倣った作。映画やテレビなどで親しまれているものの、光圀が安積覚(あさかかく)、佐々介三郎(さっさすけさぶろう)を連れて民情視察の旅に出たというのは虚構。
柳田角之進(やなぎだかくのしん)
端物。50両を盗んだとの嫌疑をかけられた浪人角之進は娘を売って償うが、のち、碁に夢中になった商人が失念したためとわかる。角之進は商人のかわりに碁盤を斬(き)る。寛政(かんせい)8年(1796)の序がある『雲萍(うんぴょう)雑誌』に原話がある。
藪原検校(やぶはらけんぎょう)
大岡政談の一つ。按摩(あんま)杉の市が師匠の藪原検校を殺し、2代目となったものの、酩酊(めいてい)して真相を口外、大岡越前守(えちぜんのかみ)の裁きを受ける。人情咄(ばなし)としては初代古今亭志ん生、講談では初代蓁々斎桃葉(しんしんさいとうよう)が得意としたが、3世河竹新七が双方の筋(すじ)をあわせて『成田道初音藪原(なりたみちはつねのやぶはら)』(1900)として脚色。