イギリスの天文学者、数理物理学者。ランカシャーの生まれ。9歳のころ時計に熱中し、22歳でケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学、4年後数学科を卒業。以後、自宅の研究室で物理学・天文学への数学的応用に専念し、名著『気体の力学的理論』(1904)を公刊した。1905~1909年プリンストン大学の応用数学教授に選任され、この間に『理論力学』(1906)と『電磁気の数理理論』(1908)を著し、王立協会の会員に推挙された。1910年母校に帰り、講師を務め、2年後退任して、研究と著述に専心した。『放射と量子論』(1914)の公刊後天文学に転向し、『宇宙進化論と恒星力学』(1919)、『天文学と宇宙進化論』(1928)はアダムズ賞の対象となった。また王立協会ほか諸学会の役員に選任され、1928年には学術勲功によりナイトに叙された。彼の物理学書はいずれも学界不朽の古典であり、とくにレイリーと共同研究の熱放射の法則は前期量子論の一業績となった。また熱力学や気体論の原理を恒星の運動論・構造論・進化論に展開し、太陽系起源に関してジェフリーズとともに潮汐(ちょうせき)説を提唱した。晩年は啓蒙(けいもう)書の著述に傾注し、観念論的主張の宇宙論・科学論を公刊。『神秘な宇宙』(1930)ほか数著が邦訳されている。
[島村福太郎]
イギリスの天文学者,物理学者。ロンドンの生れ。ケンブリッジ大学に学び,1901年同大学特別研究員となる。その後渡米し,05-09年プリンストン大学教授,帰国後10-12年ケンブリッジ大学教授を務めた。1904年気体分子運動論の基礎を論じた著作《The Dynamical Theory of Gases》を刊行し,教科書の範として好評を博し,翌年この理論を応用し,レーリーの熱放射のエネルギー分布式を再度古典論の立場から跡づけ補正した(レーリー=ジーンズの放射則)。14年量子論を受け入れるや,以後,天文学の研究に転じ,回転流体の力学的取扱いを発展させ,太陽系起源についての潮汐説,連星の形成,星雲の形状・進化など天体物理学に関する独創的な研究を発表した。なお,星の構造に関するA.S.エディントンとの論争は有名である。1924-29年ローヤル・インスティチューション天文学教授,25-27年王立天文学会長,38-40年ローヤル・ソサエティ副会長などを歴任し,天文学と科学界の発展に貢献した。晩年は《われらをめぐる宇宙》(1929),《科学の新背景》(1933),《物理学と哲学》(1942)など多数の科学啓蒙書を執筆した。
執筆者:兵藤 友博
細い綾織の綿布,またそれで作られた衣服のことをいう。中世にファスティアンと呼ばれる丈夫で目のつまった綿布が労働着などに用いられていたが,ジーンズはその一種で,イタリアのジェノバからイギリス,フランスにもたらされたのでジャニュアjanua(genoa)と呼ばれ,しだいにジーンズと呼ばれるようになった。カーペット,靴下,胴衣などに使用され,白やオリーブ色,またインジゴで染めたブルー・ジーンズがあった。ブルー・ジーンズは1850年ころ,カリフォルニアに金鉱探しにやってきたリーバイ・ストラウスがテントを染めて作業衣を作り,性,年齢,身分をこえた衣服として広めたといわれる。ホワイトカラーに対して用いられるブルーカラーの語源ともいわれている。日本では1960年代以降ジーパンとしてファッション化し,老若男女を問わず爆発的に流行し,カジュアル・スタイルへの口火を切った。
執筆者:池田 孝江
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