オランダの航海者。17世紀最大の探検航海者と評される。東インド会社に入って1633年にバタビア(現,ジャカルタ)に赴いてから,太平洋の航海を数回実施した。そのうちでも名高いのは,42年から43年にかけてヘームスケルク号とゼーハーン号を率いての航海である。東インド総督ファン・ディーメンに新交易地開拓と南アメリカへの安全迅速な航路発見を命じられたタスマンは,1642年にバタビアを出帆,オーストラリア南岸を東航してタスマニア島を〈発見〉し,ファン・ディーメンス・ラントと命名した。さらに東進を続けてニュージーランド南島に到達し,当時その存在が信じられていた〈南方大陸〉の一部と考えた。その後,トンガ諸島,フィジー諸島を〈発見〉し,ニューギニア北岸を回ってバタビアに戻った。途中ソロモン諸島北方の大環礁に立ち寄り,オントン・ジャワと名付けた。彼の航海日誌は詳細で,英語版とオランダ語版が出版され,高く評価されている。
執筆者:石川 栄吉+斉藤 尚文
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オランダの航海者、探検家。オランダ東インド会社の船長として勤務し、1642~43年探検のためバタビア(ジャカルタ)を出発し、オーストラリア南東方で現タスマニア島を「発見」し、当時の東インド総督の名にちなんでファン・ディーメンスラントと命名。そののち東航してニュージーランドの西部に達し、この地をスターテンラントと命名、さらに北上してトンガ、フィジー、ビスマーク諸島などを発見し、ニューギニア北岸を通過してバタビアへ帰還した。44年、前回探検した地域を調査するため再度探検を行った。48年、フィリピン、タイへの航海後、船員たちの不満を買い、会社を解雇されたのち、裕福な商人としてバタビアで生活し、同地で没した。
[栗原福也]
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1603~59
オランダの航海者。オランダ東インド会社に入り,1642~43年,44~48年の2度の大航海によりタスマニア,ニュージーランド,トンガ,フィジー島などに到達し,帰途,オーストラリア,ニューギニア方面を探検した。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…南島南西部およびスチュアート島の変成岩は先カンブリア層である。サザン・アルプス中央部にはこの国の最高峰クック山(3764m)をはじめ高山が連なり,タスマン氷河などの氷河や,多数の氷河湖,氷河地形が発達している。東岸中部には洪積世の氷期の堆積物によって形成されたこの国最大のカンタベリー平野がある。…
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