中能島欣一(読み)ナカノシマキンイチ

デジタル大辞泉 「中能島欣一」の意味・読み・例文・類語

なかのしま‐きんいち【中能島欣一】

[1904~1984]山田流箏曲そうきょく演奏家・作曲家。東京の生まれ。中能島検校の孫。中能島派の4代家元。東京芸大教授芸術院会員人間国宝古典演奏にすぐれ「新晒しんざらし」などの編曲・演奏で高い評価を得る一方現代邦楽陽炎の踊」「赤壁賦」「三つの断章」などを作曲。昭和58年(1983)文化功労者

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改訂新版 世界大百科事典 「中能島欣一」の意味・わかりやすい解説

中能島欣一 (なかのしまきんいち)
生没年:1904-84(明治37-昭和59)

山田流箏曲家,作曲家。中能島派の初代中能島松声の長男孝太郎の次男。母は中能島喜久。3代中能島松仙の没後,4代家元を継承。東京音楽学校・東京芸術大学において邦楽科教官を務め,のちに名誉教授。山田流箏曲の古典演奏の代表的存在であったのみならず,現代邦楽の作曲家としても先駆的存在であった。作品は,《三つの断章》《盤渉(ばんしき)調》ほか。箏,三味線技法の現代的可能性を追求。その演奏と作品は,平野健次監修《中能島欣一全集》(ビクター,1972-73)に,古典曲46,創作曲35を収録。重要無形文化財保持者,日本芸術院会員。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中能島欣一」の意味・わかりやすい解説

中能島欣一
なかのしまきんいち
(1904―1984)

山田流箏曲(そうきょく)演奏家、作曲家。中能島派初世家元中能島松声(しょうせい)(1838―94)の孫。東京・本所に生まれる。6歳から母喜久の厳格な指導のもとに古典を身につけ、さらに初世丸田島能、3世中能島松仙(しょうせん)、初世高橋栄清らに師事。ほかに長唄(ながうた)、一中(いっちゅう)節なども習う。1925年(大正14)3世家元松仙、4世山登松齢と春潮会を設立、28年(昭和3)松仙没後、遺言により4世中能島家元を継承した。31年から東京音楽学校(現東京芸術大学)に関係し、講師、教授(1950~72)として多くの後進の指導にあたった。61年日本芸術院会員、66年重要無形文化財保持者、83年文化功労者。箏・三絃(さんげん)の演奏家として抜群の技量を示したばかりでなく、『陽炎(かげろう)の踊り』『赤壁賦(せきへきのふ)』『三つの断章』など、多数の現代邦楽の前衛的作曲の先駆者的存在であった。

[平山けい子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中能島欣一」の意味・わかりやすい解説

中能島欣一
なかのしまきんいち

[生]1904.12.16. 東京
[没]1984.3.19. 東京
山田流箏曲家,作曲家。中能島孝太郎の2男,母喜久。1世丸田島能,喜久の芸養子の3世中能島松仙,1世高橋栄清らに師事。 1928年4世中能島派家元を継承,32年東京音楽学校講師,37年同校教授,50年東京芸術大学音楽学部教授,61年日本芸術院会員。同年イギリス,ハリエット・コーエン国際音楽賞受賞。編曲および演奏の代表作に『新ざらし』『新砧』などがあり,おもな作品には『三弦協奏曲』 (1934) ,『盤渉調』 (41) ,『三つの断章』 (42) ,『箏と三弦のための組曲』 (55) ,『伽藍』 (66) などがある。夫人慶子は,昭和前期における山田流箏曲の代表的演奏家であった今井慶松の娘。

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百科事典マイペディア 「中能島欣一」の意味・わかりやすい解説

中能島欣一【なかのしまきんいち】

山田流箏曲家・作曲家。東京生れ。初代中能島検校の孫。3代中能島松仙ほかに師事。中能島派4代家元。技巧派の演奏家として知られ,とくに《新晒(しんざらし)》《新砧》などの編曲・演奏で高い評価を得,昭和期の箏曲界を代表した。《三つの断章》《さらし幻想曲》《盤渉調(ばんしきちょう)》など多数を作曲。現代日本音楽の創作活動の先駆的存在でもあった。1961年芸術院会員,1966年人間国宝,1972年東京芸術大学名誉教授。1983年文化功労者。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中能島欣一」の解説

中能島欣一 なかのしま-きんいち

1904-1984 昭和時代の箏曲(そうきょく)家,作曲家。
明治37年12月16日生まれ。中能島松声(しょうせい)の孫。母喜久に山田流箏曲をならい,初代丸田島能(しまの),3代家元中能島松仙,初代高橋栄清に師事し,昭和3年中能島派4代家元となる。12年東京音楽学校(現東京芸大)教授,34年芸術院賞,36年芸術院会員,41年人間国宝,58年文化功労者。昭和59年3月19日死去。79歳。東京出身。作品に「陽炎の踊り」「赤壁賦」「三つの断章」など。

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世界大百科事典(旧版)内の中能島欣一の言及

【箏曲】より

…これを〈明治新曲〉という。大正から昭和初期にかけて,東京に進出した宮城道雄や米川親敏(ちかとし)(琴翁)らは,洋楽の技法をも取り入れた創作活動を展開,とくに宮城を中心とする派は,〈新日本音楽〉と称して,単に箏曲のみならず,邦楽全体の新創造を目標とし,以後,箏曲を中心とする創作活動はきわめて活発となり,山田流箏曲家でも,中能島欣一などきわめて現代的な作品を作る者が多くなるとともに,洋楽の作曲家も,箏の作品を書くようになる。現代では,〈現代邦楽〉と呼ばれる創作の一つとしても,箏曲が存在する。…

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