ナチスによるユダヤ人大虐殺にかんがみて、第二次世界大戦後のニュルンベルク国際軍事裁判所条例は、戦争犯罪の一つとして人道に対する罪を規定した。すなわち、「一般人民に対する殺人・絶滅・奴隷的虐使・追放その他の非人道的行為、または政治的・人種的・宗教的理由に基づく迫害行為」がそれである。これらは犯行地の国内法に違反すると否とを問わず処罰されるべきものとされた。極東国際軍事裁判所条例もだいたい同様である。1948年に国連総会が採択したジェノサイド条約(集団殺害罪の防止および処罰に関する条約)は、この犯罪類型の主要部分を国際的に確認したものといってよい。また国連国際法委員会は50年に、人道に対する罪を国際法上の犯罪とする報告を総会に提出した。93年5月に国連安保理事会決議によって、旧ユーゴ紛争における戦争犯罪人を裁くために設置された裁判所(旧ユーゴ戦争犯罪国際法廷)、および94年11月の安保理事会決議によって、ルワンダにおける「大虐殺」に関連する犯罪人を裁くために設置された裁判所(ルワンダ国際法廷)も、その事項的管轄のなかに人道に対する罪が含められている。さらに94年に国連国際法委員会の作成した国際刑事裁判所規程草案でも、この裁判所の管轄に人道に対する罪が含められた。この草案を基礎として、98年ローマで開かれた政府間外交会議により、国際刑事裁判所設立条約が採択された。条約第5条第1項は、裁判所による処罰の対象となる犯罪類型の一つとして、人道に対する罪をあげている。なお1961年の国連総会決議は、核兵器の使用を人道の法則に違反し、人類と文明に対する犯罪と規定した。これによって人道に対する罪の内包の拡大が図られたとみることができる。
[石本泰雄]
『岡田泉「“人道に対する罪”処罰の今日的展開」(『世界法年報』15号所収・1996・世界法学会)』
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第二次世界大戦後,戦争指導者の個人責任を追及するためにニュルンベルク国際軍事裁判および極東国際軍事裁判において規定された戦争犯罪の概念。一般市民に対する殺害,殲滅(せんめつ),奴隷化,強制移動といった非人道的行為,もしくは政治的・宗教的・人種的理由にもとづく迫害が人道に対する罪にあたるとされる。旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所も人道に対する罪を訴追する権限を持つ。
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…その後,連合国戦争犯罪委員会の設立(1943年10月),モスクワ会談の際ローズベルト,チャーチル,スターリンにより署名された〈ドイツの残虐行為に関する宣言〉(1943年10月)等を経て,ヨーロッパ戦争犯罪人裁判に関するロンドン協定および付属〈国際軍事裁判所条例〉(1945年8月)によって枢軸国戦争犯罪人処罰の原則がつくられた。このロンドン協定では,国際軍事裁判所の管轄に属する犯罪として,(1)平和に対する罪,(2)戦争犯罪に加えて,(3)人道に対する罪をあげた。〈人道に対する罪〉とは,戦争前のまたは戦時中のすべての一般人民に対する殺人,殲滅(せんめつ),奴隷化,強制的移送およびその他の非人道的行為,もしくは政治的・人種的または宗教的理由に基づく迫害のことである(同条例6条)。…
…こうした戦時犯罪は,それを行った個人を捕らえた交戦国がその国家法益の侵害を理由に戦時中裁判にかけて処罰するもので,戦後にはもはや処罰しえないとみなされていた。 しかし,第2次世界大戦中,連合国側において,枢軸国の戦争犯罪人(侵略戦争に対する責任者を含む)を戦後厳重に処罰すべきことが主張され,従来の戦争犯罪すなわち戦争の法規および慣例の違反による〈通例の戦争犯罪〉のほか,〈平和に対する罪〉および〈人道に対する罪〉という新しい戦争犯罪の類型が認められることになった。ここに戦争犯罪概念の拡大と国際犯罪観念への質的転換の端緒がみられる。…
…同協定に付属した国際軍事裁判所憲章(条例)によりニュルンベルク裁判が開廷され,のちに同憲章に準拠して東京裁判が開かれるのである。この変化の特色は,第1に,連合国の一部の指導者が唱えた枢軸国指導者の即決処刑という方式が排されて,国際裁判方式が採択されたこと,第2に,従来の戦時国際法に規定された〈通例の戦争犯罪〉に加えて,侵略戦争の計画・準備・開始・遂行等を犯罪とする〈平和に対する罪〉,戦前または戦時中になされた殺害・虐待などの非人道的行為を犯罪とする〈人道に対する罪〉が新たに国際法上の犯罪と規定され,それらの犯罪についての戦争指導者と目された個人の刑事責任を認めた点にあった。しかし他方で,ロンドン協定採択にいたる過程には,四大国の国家的利益や政治的要請が色濃く反映していた。…
…起訴された24名のうち,M.ボルマンは行方不明のため欠席裁判となり,R.ライは拘禁中に自殺し,またG.クルップは病気のため審理延期(のち1950年死亡)となった。 判決によれば,22名の個人被告中,8名が訴因1の〈共同謀議〉,12名が訴因2の〈平和に対する罪〉,16名が訴因3の〈戦争犯罪〉,同じく16名が訴因4の〈人道に対する罪〉について,それぞれ有罪を宣告された。すべての訴因について有罪とされた者と,一部の訴因についてのみ有罪とされた者とがある。…
※「人道に対する罪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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