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歌人。神奈川県大住(おおすみ)郡南矢名(みなみやな)村(現秦野(はだの)市)に生まれる。本名洋造。21歳のとき尾上柴舟(おのえさいしゅう)の門をたたき、25歳で自ら短歌結社「白日社」をおこし『向日葵(ひぐるま)』を発刊。さらに29歳のとき創刊した『詩歌(しいか)』(1911)を断続しながら没年まで主宰し、多くの門流を輩出させた。第一歌集『収穫』(1910)は同年刊行の若山牧水(ぼくすい)の歌集『別離』とともに一時代を画し、太田水穂(みずほ)に「比翼詩人」と称された。集中の「木に花咲き君わが妻とならむ日の4月なかなか遠くもあるかな」はいまも人口に膾炙(かいしゃ)する近代の代表歌である。ほかに『陰影』(1912)など15歌集と多くの随筆集があり、1932年(昭和7)の『水源地帯』は自由律短歌の主導的役割を果たした。
[石本隆一]
『『前田夕暮全集』全5巻(1972~73・角川書店)』▽『『日本の詩歌7 太田水穂・前田夕暮他』(中公文庫)』▽『前田透著『評伝前田夕暮』(1979・桜楓社)』
歌人。神奈川県生れ。本名洋造。父久治は秦野市(当時,大住郡大根村)の自由民権家。1904年上京,尾上柴舟の門に入り若山牧水らと車前草(しやぜんそう)社を結び,のち06年白日(はくじつ)社を創立。処女歌集《収穫》(1910)により自然主義の歌人として牧水と併称された。11年,白日社から《詩歌》を創刊して,萩原朔太郎らに発表の場を与え,多くの詩人,歌人を育成した。《生くる日に》(1914)で外光派的歌風に転じ,《水源地帯》(1932)では自由律短歌を唱導,晩年,定型に復した。《前田夕暮全集》5巻(1972-73)がある。〈木に花咲き君我が妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな〉(《収穫》)。
執筆者:前田 透
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