和田維四郎(読み)ワダツナシロウ

デジタル大辞泉 「和田維四郎」の意味・読み・例文・類語

わだ‐つなしろう〔‐つなシラウ〕【和田維四郎】

[1856~1920]鉱物学者。福井の生まれ。ナウマン地質調査所を建議してその初代所長となり、のち東大教授・八幡製鉄所長官なども歴任。日本産鉱物標本を収集し、「日本鉱物誌」を著した。また、書誌学開拓者としても知られる。

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精選版 日本国語大辞典 「和田維四郎」の意味・読み・例文・類語

わだ‐つなしろう【和田維四郎】

  1. 鉱物学者。福井県出身。東京帝国大学地質学教授、初代地質調査所長。日本の近代鉱物学の基礎を築いた。また、古書の蒐集で知られる。著に「日本鉱物誌」「訪書余録」など。安政三~大正九年(一八五六‐一九二〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「和田維四郎」の意味・わかりやすい解説

和田維四郎
わだつなしろう
(1856―1920)

鉱物学者。若狭(わかさ)国(福井県)小浜(おばま)の生まれ。1873年(明治6)東京開成学校に入学して鉱物学を学ぶ。1877年東京大学創設とともに、ナウマンのもとで助教を務めた。のちナウマンと地質調査所設立を建議し、1882年その初代所長となった。1883年ドイツへ留学。翌1884年帰国後、東京大学教授を兼任し、初めて日本人による鉱物学の講義を行った。1891年教授を辞し、鉱山局長、製鉄所(官営、後の八幡(やはた)製鉄所)長官を歴任し、1917年(大正6)貴族院議員勅撰(ちょくせん)された。幼少のころから鉱物に興味をもち、鉱物標本の収集に努め、世界第一級のコレクションを残した。この「和田標本」は現在三菱(みつびし)マテリアルの所有となっている。1993年(平成5)に福島県郡山(こおりやま)市から発見された含塩素カルシウム‐アルミニウムのネソ珪酸(けいさん)塩鉱物が和田石wadaliteと命名された。鉱物学の業績は、『金石識別表』(1877)、『本邦金石略誌』(1878)などの著作を経て、『日本鉱物誌』(1904)で集大成された。

松原 聰 2018年9月19日]


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改訂新版 世界大百科事典 「和田維四郎」の意味・わかりやすい解説

和田維四郎 (わだつなしろう)
生没年:1856-1920(安政3-大正9)

鉱物学者。若狭国(福井県)小浜(おばま)藩士の子として生まれたが,明治維新に際し,藩からの貢進生として東京へ出,1873年(明治6)開成学校で鉱物学を学び,東京大学の新設により助教としてE.ナウマンを助け,また日本全国の地質調査を指導し,82年地質調査所が設立されると初代所長となった。東京大学教授(鉱物学),鉱山局長も兼ね,また八幡製鉄所長官にもなった。日本全国の鉱物・鉱石の近代的な調査のさきがけで,それを体系化した。《本邦金石略誌》(1878),《晶形学》(1879)を著したが,これは日本での最初の鉱物,結晶の著作である。また鉱物名の日本語訳にも努めた。さらに標本の収集・分類に力を注ぎ,《日本鉱物誌》(1904)はその総合である。和田の標本は三菱金属鉱業会社に引き取られ,現在,旧生野鉱山(兵庫県)の博物館(生野鉱物館)で保存・展示されている。日本全国の完全・美麗な鉱物標本を網羅しているほか,江戸時代の石の収集家木内石亭の《雲根志》関係のものも含む。蔵書家としても知られ,晩年は雲村と号し,古文書の収集・研究をした。日本における科学的な書誌学の開拓者でもあった。《嵯峨本考》(1916),《訪書余録》(1918)などの著書がある。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「和田維四郎」の解説

和田 維四郎
ワダ ツナシロウ

明治・大正期の鉱物学者,書誌学者 八幡製鉄所長官;内務省鉱山局長;貴院議員(勅選)。



生年
安政3年3月15日(1856年)

没年
大正9(1920)年12月20日

出生地
若狭国小浜(福井県)

学歴〔年〕
東京開成学校卒

経歴
小浜藩士の子に生まれる。明治8年文部省学務課出仕となり、開成学校教師を兼任。15年内務省初代地質調査所所長となり、帝国大学教授を兼ね、鉱物学について日本人初代教授となった。官制改革により22年地質局長兼鉱山局長となり、近代的鉱業法「鉱業条例」を施行した。また洋式製鉄所の建設に尽力し、八幡製鉄所を設立、30年2代目製鉄所長官に就任し、35年退官。日本鉱業会会長となり、のち金属工業研究所長となった。大正6年勅選貴院議員。日本の近代鉱物学の基礎を築いた。また愛書家としても有名で科学的な書誌学の先駆者でもあり、嵯峨本その他について新説を発表した。著書に「日本鉱物誌」「本邦鉱物標本」、「嵯峨本考」「訪書余録」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「和田維四郎」の意味・わかりやすい解説

和田維四郎
わだつなしろう

[生]安政3 (1856).3.17. 若狭,小浜
[没]1920.12.20.
明治・大正期の鉱物学者。東京開成学校(→開成学校)ドイツ部の鉱山学校でカール・シェンクに師事し,1875年から文部省金石取調所に勤務した。1877年東京大学創設に際し,理学部地質学科の教授エドムント・ナウマンのもと助教となる。1882年農商務省地質調査所の初代所長に就任。1884~85年ベルリン大学へ留学,鉱物学の最新知識を学ぶ。帰国後日本人として初めて鉱物学担当の帝国大学(→東京大学)教授となり,日本の地質調査事業の基礎を築いた。1889年からは農商務省鉱山局局長も兼務し鉱業条例の公布に尽力,日本の民営鉱業の基礎をつくった。1897年に八幡製鉄所長官。1902年公職を退き研究著作に従事。主著に『日本鉱物誌』,(1904)『本邦鉱物標本』,(1907)『訪書余録』(1918)がある。

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朝日日本歴史人物事典 「和田維四郎」の解説

和田維四郎

没年:大正9.12.20(1920)
生年:安政3.3(1856)
明治期の鉱物学者,吏僚。鉱業・製鉄業近代化の基礎をつくった。若狭国(福井県)小浜藩士の子として生まれる。明治6(1873)年,藩の貢進生として東京の開成学校で鉱物学を修め,8年文部省雇となる。地質調査の必要性を政府に説き,15年地質調査所の設置とともに初代所長。調査所はナウマン,コルシェルトら4人のドイツ人科学者を擁し,多大の業績をあげた。なかでも化学工業の重要資材としての塩に着目,自ら現地調査して『食塩改良意見』を発表,塩業政策の端緒となった。22年鉱山局長(調査所長・帝国大学教授兼務)となり鉱業条例を制定,また洋式製鉄所の建設に奔走し八幡製鉄所を設立。30年2代目長官となって大規模新鋭設備を完成させ,近代製鉄業の出発点となった。このとき予算以上の拡充工事をすすめたため懲戒免官となり,勅許によって許されたという逸話が残る。学者としては全国の鉱物を調査して『日本鉱物誌』を出し,その充実した鉱物標本は今も生野鉱山博物館(兵庫県)に展示されている。古文書の研究家,蔵書家としても知られる。『嵯峨本考』『訪書余録』などの著書がある。

(村上正祥)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和田維四郎」の解説

和田維四郎 わだ-つなしろう

1856-1920 明治-大正時代の鉱物学者。
安政3年3月15日生まれ。新設の東京大学でナウマン教授のもとで助教。地質調査所の設立により明治15年初代所長。ドイツ留学後,東京大学教授を兼任。近代的製鉄所設立につとめ,八幡製鉄所長官となる。貴族院議員。大正9年12月20日死去。65歳。若狭(わかさ)(福井県)出身。号は雲村。著作に「本邦金石略誌」「日本鉱物誌」など。

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百科事典マイペディア 「和田維四郎」の意味・わかりやすい解説

和田維四郎【わだつなしろう】

鉱物学者。若狭小浜の出身。初代地質調査所長,東大教授,工部省鉱山局長,八幡製鉄所長官を歴任。《金石学》(1876年)など多くの鉱物学書を著して欧米の鉱物学の導入に努め,《日本鉱物誌》(1904年)や雑誌《本邦鉱物資料》を刊行,日本の鉱物学の基礎を固めた。日本における科学的書誌学の先駆としても知られ,《嵯峨本考》(1916年)《訪書余録》(1918年)などの著書もある。

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世界大百科事典(旧版)内の和田維四郎の言及

【書誌学】より

…ソ連の書誌学の方向もだいたいドイツ的といえよう。明治・大正期に書物にも知識の深かった鉱山学者和田維四郎(つなしろう)らの先覚者をもつ日本では,昭和期になって日本書誌学会が創立され,写本・刊本ともに精密な研究がおこなわれるようになった。【寿岳 文章】。…

※「和田維四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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