美をなによりも優先させる態度一般を指すが,狭義には1860年ころから始まった西欧の芸術思潮をいう。審美主義,耽美(たんび)主義とも呼ぶ。作品の価値はそこに盛られた思想あるいはメッセージではなく形態と色彩の美にある,と主張する。イギリスの詩人スウィンバーンがA.J.ムーアの絵《アザレア》(1868)を〈この絵の意味は美そのものだ。存在するということだけが,この絵の存在理由だ〉と絶賛した言葉が,唯美主義を端的に示している。印象批評を確立したW.ペーター,その弟子ワイルド,ワイルドの《サロメ》の悪魔的な妖美の挿絵で知られる画家ビアズリーの系譜からもわかるように,唯美主義は世紀末に向かうにつれ反社会的な退廃美との結びつきを深める。万国博覧会の発展と機を一にしているが,唯美主義は19世紀の楽天的進歩思想に抗した動きであったといえよう。
唯美主義そのものは必ずしも退廃美や悪魔主義satanismと同一ではない。その遠い源泉は,信仰に虐げられていた感性が理性とともに主権を取り戻したルネサンス美学に見いだせる。ルネサンスの建築家アルベルティは《建築論》の中で,美は部分と部分の調和ある有機的な相互関係である,と規定した。19世紀ロシアの作家L.N.トルストイは,唯美主義を否定しR.ワーグナーやR.シュトラウスを批判した《芸術とは何か》(1898)において,〈ルネサンス時代のカトリック教会の腐敗で信仰が失われた〉とルネサンスを否定したが,これは反唯美主義が本質的には西欧近代の否定に通じることを示している。これをうけて,フランスの悪魔主義の作家ペラダンは《トルストイに応える》を書き,〈美が生み出すのは感情を観念に転化する独自の歓び,つまり抽象的な動きである〉と反論した。これは唯美主義の本質をつく言葉であり,ワイルドにも,またその影響が濃厚な《禁色》の作家三島由紀夫や,同じくワイルドの《謎をもたぬスフィンクス》を種本に短編《秘密》を書いた谷崎潤一郎にも当てはまる。
19世紀以来の唯美主義は観念的美の世界と悪魔的な官能美への惑溺,すなわちデカダンスdécadenceの二極を絶えず往復しているが,これはスウィンバーンに影響を与えたフランスの文学者ゴーティエやボードレールに始まる。前者は,いわゆる〈芸術至上主義〉,すなわち〈芸術のための芸術l'art pour l'art〉(命名は1845年,V. クーザンによる)の唱道者として知られ,効用性を超越した自律的な美を主張した。のちに彼は《文学的肖像と回想》(1881)で,様式としてのデカダンスを〈このうえない成熟に達した芸術であり,輪郭がきわめて曖昧(あいまい)でつかみにくいものを表現しようと格闘し,腐敗した情熱の死にぎわの告白や妄執のもたらす狂気寸前の幻覚を伝えようとするもの〉と定義,唯美主義の到達した極点を示した。画家クリムト,詩人ホフマンスタールなど世紀末ウィーンの芸術家,また,アメリカ人でロンドンとパリで活躍した印象派の異色画家J.A.M.ホイッスラーらも典型的な唯美主義者である。日本では上記2作家のほか,明治30年代の明星派や高山樗牛(ちよぎゆう),さらに永井荷風,木下杢太郎(もくたろう),北原白秋らがあげられる。
→世紀末 →デカダン派
執筆者:河村 錠一郎
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