売春を助長する行為等を処罰することによって、売春の防止を図ることを目的として、1956年(昭和31)5月24日に公布された法律。昭和31年法律第118号。完全施行は1958年4月1日。
[堀千鶴子 2025年11月17日]
この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗を乱すものであるという観点から、その第3条で「何人(なんぴと)も、売春をし、又はその相手方となつてはならない」と規定している。本法における「売春」とは、対償を受け、または受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう(2条)。この法律は、単なる売春行為やその相手方となること自体は処罰の対象とはしていない。しかし、公衆の目に触れるような方法で売春の相手方となるよう勧誘することは処罰の対象とされる(5条。勧誘等)。他方で、売春の相手方(買春した者)は処罰の対象とはされていない。そのほかの処罰対象の行為には、売春の周旋、売春目的の前貸・資金提供、売春をさせる契約、売春をさせる業など、売春を助長する行為がある(5条~14条)。
現行法は第1章「総則」、第2章「刑事処分」および附則からなるが、2022年(令和4)の改正前には、第3章「補導処分」、第4章「保護更生」が設けられており、売春を行うおそれのある女子に対する補導処分・保護更生の措置が明記されていた。
旧法の第3章「補導処分」では、勧誘等の罪(5条)を犯した満20歳以上の女子が有罪となり執行猶予がついた場合、婦人補導院で補導処分が科されることが規定されていた(17条~33条)。勧誘罪は性別を問わないが、補導処分に付されるのは女性のみであり、ジェンダー不平等な規定であったといえる。第3章の規定は、2022年改正法の施行によって廃止され、それに伴い「婦人補導院」も廃止された。
旧法の第4章「保護更生」では、性行または環境に照らして売春を行うおそれのある女子(要保護女子)に対して、婦人相談所、婦人相談員、婦人保護施設といった実施機関による保護更生の措置を講じていた(34条~40条)。これらの規定は、2022年5月25日公布の女性支援法(正式名称は「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」)に編入され、売春防止法から削除された。
[堀千鶴子 2025年11月17日]
1946年1月、連合国最高司令官総司令部(GHQ)は、公娼(こうしょう)制度はデモクラシーの理想に違背するという理由から、日本政府に対して「公娼制度の廃止に関する覚書」を発した。これに基づく法的措置として、1947年1月、勅令9号「婦女に売淫(ばいいん)をさせた者等の処罰に関する勅令」が発せられた。同勅令は、暴行または脅迫によらないで、女性を困惑させて売淫をさせた者、売淫を内容とする契約をさせた者に対する処罰が定められていたが、赤線地域などの集娼地区は取締り上黙認されていた。1951年9月に対日講和条約が署名されたことによって、既存の法令であった勅令9号が条約に適合しないなどの理由で無効化されることに対する危機感から、同年11月に「公娼制度復活反対協議会」(会長は久布白落実(くぶしろおちみ)。参加団体は日本キリスト教婦人矯風会(きょうふうかい)、日本婦人有権者同盟〈2016年解散〉、日本YWCA、大学婦人協会〈現、大学女性協会〉、日本婦人平和協会〈現、婦人国際平和自由連盟日本支部〉)が結成された。同会は、勅令9号を国内法とするよう約100万人の署名を集め、要望書を国会に提出するなど、活発に運動を展開した。こうした運動が功を奏し、1952年5月、勅令9号は国内法として存続することになった。同協議会は、同年12月には総勢23団体が参加した「売春禁止法制定促進委員会」(促進会)に発展し、売春禁止に関する単独法の成立を目ざし、世論の喚起、国会議員への働きかけなどの運動を展開した。
[堀千鶴子 2025年11月17日]
第二次世界大戦終戦後、初めて売春等処罰法案が国会に提出されたのは、1948年の第2回国会であった。同法案は、占領軍からの性病対策の要請を受けて政府から提出されたが、審議未了となった。その後、1953年の第15回国会、1954年の第19回国会・第21回国会、1955年の第22回国会に、議員立法として売春等処罰法案が提出されたが、いずれも成立しなかった。
一方で、1953年内閣に売春問題対策協議会が設置された。さらに、このころ鹿児島県で起きた通称「松元事件」(土木業者が賄賂(わいろ)として高校生を含む女性に売春をさせた事件)や、東京都で発覚した少女買春事件などを契機とした、売買春に対する世論の批判の高まりやメディアの注目、促進会などの売春に関する立法運動などを背景に、1956年3月には総理府に売春対策審議会が設置され、4月には答申を行った。同答申が売春防止法立案の基礎となり、1956年5月2日に第24回国会に政府から売春防止法案として提出され、同月24日に公布された。
[堀千鶴子 2025年11月17日]
売春を助長する行為等を処罰するとともに,売春を行うおそれのある女子に対する補導処分・保護更生の措置を定めることによって,売春の防止を図ることを目的とする法律。第2次大戦前の日本では,私娼による売春自体を処罰する警察犯処罰令(1908公布,48廃止)1条2号や婦女に対する淫行の勧誘を処罰する刑法182条(淫行勧誘罪)による取締りもまったく行われないではなかったが,娼妓取締規則(1900公布)によって制度上公娼を認めていた結果,売春はそれを契機に利益をむさぼる周旋や管理などの助長行為も含めて事実上包括的に許容されていた。終戦直後GHQの覚書により公娼と一定の助長行為の禁止が指示され,その旨の勅令が公布・施行されたが,赤線地域などは取締上黙認された。しかし性道徳と善良な風俗の維持や女性保護などを求める世論は抜本的な禁止法令を促し,1956年に売春防止法が制定され翌年施行(刑事処分の施行は1958年)されることとなった。ここで売春とは,対償を受けまたは受ける約束で不特定の者と性交することをいう。当初は売春およびその相手方となる行為をも処罰すべきだとの考えが強かったが,刑法は私生活にまで介入すべきではなく,弱者たる売春婦には処罰より保護が必要であるなどの意見が反映されて,これらは禁止するが処罰せず,売春の周旋(6条),困惑させて売春させる行為(7条),対償のうわはね等(8条),売春目的の前貸(9条),売春をさせる契約の締結(10条),情を知って場所を提供すること(11条),管理売春営業(12条),情を知って営業資金を提供すること(13条)という売春助長行為の処罰を中心とし,売春を行うおそれのある女子に対しては婦人相談所(34条),婦人相談員(35条),婦人保護施設(36条)によってその保護更生を図ることで売春を防止することとなった。ただ売春の目的で公然と相手方を勧誘した場合には処罰の対象とされ(5条),自由刑の執行を猶予されても裁判所の裁量により補導処分に付され婦人補導院に収容されることがある(17条)。
本法で処罰される者の数は,おそらく売春形態・売春動機の変容と性意識の変化とを背景に,1990年代半ばでは年500人弱とかつての10分の1程度にまで減少している。
→売春
執筆者:田中 利幸
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1946年(昭和21)のGHQ覚書「日本における公娼廃止に関する件」にもとづき,1900年(明治33)以来の娼妓取締規則を廃止し,47年には「婦女に売淫させた者などの処罰に関する勅令」がだされた。48年以来何度か立法・提案されたが,成立しなかった。売春禁止法制定促進委員会などの全国的運動もあって,56年設置された売春対策審議会からの答申をうけ,同年5月成立。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…青線とは飲食店街をふくむ盛り場の区分だが,キャバレー,バーなどでもホステスの即席恋愛がおこなわれることもあった。58年に売春防止法が施行されて全国で4万に近い特殊飲食店と12万人ほどの従業婦がなくなり,赤線廃止とともに青線の名称も消えた。【加太 こうじ】。…
…53年から衆議院議員に当選5回。とくに売春防止法成立にあたっての功績が大きい。《女性思想史》(1949),《神近市子自伝》(1972)等の著書がある。…
…しかし同日付の警保局長通達は,同20日までに公娼制度に関する関係法令を廃止するとともに売春契約の無効を掲げながら,前借金や年期は抱主の意向にまかせており,完全に脱却できたわけではない。事実,その後も赤線・青線地帯の指定によって準公娼制が存続したが,最終的には1956年5月の売春防止法の公布(実施は1958年4月1日)により終結した。売春【原島 陽一】。…
…この項では女性の売春を中心として,西洋と日本につき概観を試みる。男娼については〈男色(なんしよく)〉の項目を,さらに日本における売春の法律的定義,罰則などについては〈売春防止法〉の項目を参照されたい。
【歴史】
[西洋]
売春は,俗に〈最古の職業〉と称されたりするが,その起源は明確ではない。…
※「売春防止法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...