大山祇神社(読み)オオヤマツミジンジャ

デジタル大辞泉 「大山祇神社」の意味・読み・例文・類語

おおやまつみ‐じんじゃ〔おほやまつみ‐〕【大山祇神社】

愛媛県今治市の大三島おおみしまにある神社。旧国幣大社祭神大山祇神おおやまつみのかみ伊予国一の宮三島大明神大三島

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精選版 日本国語大辞典 「大山祇神社」の意味・読み・例文・類語

おおやまづみ‐じんじゃおほやまづみ‥【大山祇神社】

  1. 愛媛県今治市大三島町宮浦にある神社。伊予国一の宮。祭神は大山祇神水軍守護神として信仰を集めた。鎧、太刀などの国宝を蔵する。三島大明神。大三島神社。大三島さん。

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改訂新版 世界大百科事典 「大山祇神社」の意味・わかりやすい解説

大山祇神社 (おおやまづみじんじゃ)

瀬戸内海中央の大三島(愛媛県今治市)に鎮座大三島宮ともいう。大山積神をまつる。旧国幣大社。大山積神は《古事記》《日本書紀》では山の神とされているが,またの名を和多志(わたし)大神と称し百済から渡来したとの伝えもある(《伊予国風土記》逸文)。越智(おち)地方の旧族越智氏から出て伊予の国主となり,海上にも発展した河野氏の祭祀をうけたため海上守護神の性格も強い。766年(天平神護2)神階従四位下を授けられ神戸(かんべ)5戸をあてられ,875年(貞観17)正二位に累進。《延喜式》で名神大社に列せられ三島大明神と呼ばれた。また伊予国の一宮でもあった。神職を率いて神事と社務を総轄した大祝(おおはふり)職は代々越智姓のものがこれに当たり,国衙の役人や鎌倉幕府の御家人を兼ね武力もあった。大祝のほかに神主,神主代が置かれたこともある。神仏習合も進み東円坊などの供僧がおり,これを統轄する神宮寺もあって法会を行った。社領は鎌倉時代初期,国衙から寄進された日御供料田だけで36町あり,その後も中央や地方の武将からの寄進で増加した。また諸法会を行うための講経供料田が180町余あった。社殿は再三火災にあい,鎌倉時代にはそのつど伊予国中に段別平均米を賦課して造営している。今治市日吉に別宮,境内に上津社・下津社などの摂社と十七神社などの末社がある。祭礼は春秋二季の大祭(旧4月22日,旧8月22日)があり,特殊神事のうち旧5月5日御田植祭と旧9月9日新穀祭には,目に見えない稲の精霊と角力をとり豊作を祈る一人角力が奉仕される。本殿拝殿をはじめ国宝8点,重要文化財23点(細目230余)もあり,おもに甲冑刀剣・弓矢などの武器で,甲冑は全国の国宝・重要文化財のうち約8割を占めている。これらは各時代の武家文化の様相をまざまざとうかがわせる。
執筆者: 現在の本殿は墨書銘によって1427年(応永34)の建立が知られる。檜皮葺きの三間社流造で,前面の庇部分を囲って外陣とする。拝殿は,本殿と同年の建立だが,1602年(慶長7)に改築された。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大山祇神社」の意味・わかりやすい解説

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)
おおやまづみじんじゃ

愛媛県今治(いまばり)市大三島(おおみしま)町宮浦に鎮座。大山積大神(おおやまつみおおかみ)一柱を祀(まつ)る。三島大明神、大三島宮ともいう。創建年代は不詳であるが、仁徳(にんとく)天皇のとき、百済(くだら)から摂津国(大阪府)三島に渡来した大山積大神を、のち小千(乎致)命(おちのみこと)が芸予(げいよ)海峡の大三島に遷祀(せんし)したのが始まりと伝える。祭神は和多志(わたし)大神と称され、古くから神威を現し、766年(天平神護2)には神階従(じゅ)四位下を授けられ、神戸(かんべ)5戸をあてられている。875年(貞観17)には正二位に進み、『延喜式(えんぎしき)』では名神(みょうじん)大社に列し、伊予国一宮(いちのみや)となる。以後、源氏、北条氏、足利(あしかが)氏など武将の崇敬も厚く、ことに三島水軍の将、河野(こうの)氏は早くから氏神として当社を尊崇した。明治の官制で国幣中社となり、1915年(大正4)国幣大社に昇格。社殿は1217年(建保5)以後再度焼亡したが、1378年(天授4・永和4)大小社殿が復旧されて現在に至り、本殿は国の重要文化財に指定されている。例祭は旧4月22日。秋には旧8月22日に産須奈(うぶすな)大祭が行われる。旧5月5日の御田植祭、旧9月9日の抜穂祭(ぬきほまつり)には一人角力(ひとりずもう)(国の無形民俗文化財)が奉納される。宝物は多数あり、なかでも甲冑(かっちゅう)類は全国の国宝、国の重要文化財の8割を数え、国宝は8点、重文は127点ある。紫陽殿、国宝館、海事資料館からなる宝物館がある。また樹齢3000年のクスノキ群は国の天然記念物。

[阪本是丸]


大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)
おおやまずみじんじゃ

大山祇神社

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大山祇神社」の解説

大山祇神社
おおやまづみじんじゃ

大山積神社・三島大明神・三島社とも。愛媛県今治市大三島町宮浦に鎮座。式内社・伊予国一宮。旧国幣大社。祭神は大山積(おおやまつみ)神。創建については,「伊予国風土記」逸文が仁徳天皇の代に百済から摂津国三島をへて渡ってきたとするほか,安芸国霧島から遷座,崇峻2年に越智益躬(おちのますみ)が播磨から勧請など諸説ある。875年(貞観17)正二位。鎌倉時代以降,社領三島荘は長講堂領として皇室領に含まれた。神職は大祝(おおはふり)職が統轄,越智(三島)氏が相伝し,鎌倉幕府御家人・在庁官人として勢力を張った。24の供僧坊(ぐそうぼう)があったというが,現在は東円坊・南光坊のみ。例祭は旧暦4月22日。甲冑・刀剣類など国宝・重文を含めて多くの文化財を所蔵。大山積神社文書・三島家文書を残す。

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百科事典マイペディア 「大山祇神社」の意味・わかりやすい解説

大山祇神社【おおやまづみじんじゃ】

愛媛県越智郡大三島町(現・今治市)に鎮座。旧国幣大社。大山祇神をまつる。瀬戸内海の要衝に海陸守護を兼ねてまつられたもので,航海神であるとともに鉱山の神としてもあがめられる。延喜式内の名神大社とされ,伊予国の一宮。例祭は旧4月22日。本殿,拝殿のほか,黒漆太刀,神像などの重要文化財があり,禽獣葡萄鏡は国宝。
→関連項目大三島[町]瀬戸内海国立公園

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デジタル大辞泉プラス 「大山祇神社」の解説

大山祇(おおやまづみ)神社

愛媛県今治市、瀬戸内海の大三島にある神社。延喜式内社。祭神は大山積神(おおやまつみのかみ)。伊予国一之宮。全国の大山祇神社、三島神社の総本社。三島水軍を率いた河野氏の崇敬を受けたことから海上守護でも知られ、日本総鎮守の号を持つ。本殿などは国の重要文化財、境内を囲むクスノキ群は国の天然記念物に指定。平安時代の紺絲威鎧(国宝)をはじめとする多数の文化財を所有する。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大山祇神社」の意味・わかりやすい解説

大山祇神社
おおやまずみじんじゃ

愛媛県今治市大三島にある神社。社号は三島神宮。元国幣大社。大山積大神一座をまつる。古来,水軍の守護神としての信仰があつく,社宝に武器,武具類が多いのはこれらの信仰を物語っている。なお全国の国宝,重要文化財指定の刀剣,甲冑の約7割を所蔵する。例祭4月 22日。

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世界大百科事典(旧版)内の大山祇神社の言及

【大三島】より

…愛媛県北部,今治市の北方約15kmにあり,大山祇(おおやまづみ)神社の鎮座する島として有名。越智(おち)郡大三島町と上浦町からなり,面積約65km2で芸予諸島中第1位,瀬戸内海でも4番目の島である。…

※「大山祇神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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