学歴社会とは、社会的地位を決める主たる基準の一つが学歴であるような社会である。社会的地位とは職業的地位を含むが、もっと広い意味であり文化的地位なども含む。学歴社会に対しては、古くからさまざまな批判がなされてきた。就職や結婚と関係した大学間格差の存在や、学歴による差別に対する批判はその代表的なものである。さらに入学試験に対する批判も多い。また、学校の管理・教育のあり方や学校外の教育産業に対する批判も数多くみられる。ただし、こういったジャーナリスティックなレベルでの議論とは別に、客観的に学歴社会を考察してみると、こういった社会になっていく、それなりの必然性が理解できる。
[山内乾史 2018年5月21日]
明治時代になり維新政府が必要としたのは、各分野における優れた人材であり、その質的、量的に安定した供給を保証してくれる機構であった。それまでの身分社会では、主として士農工商のような封建制度下の父の身分が子の進路、職業を決定した。教育についても、典型的にいえば、士族の子は藩校(藩学)に行き、四書五経や朱子学など人の上にたつ者としての心構え、必要な教養、帝王学を教えられていた。それに対し、町人・農民の子は寺子屋に行き、読み、書き、そろばんなど実用的な知識・技能を教えられていた。このように別々のカリキュラムによって営まれる異なる教育機関を経て、子は父と同じ身分に参入していったのである。
しかし、このような身分階級に縛られた形で人の教育や職業が決定されるシステムは、明治維新期のような大改革の時期には適さない。なぜなら、明治初期の「富国強兵」というスローガンに代表されるような欧米に追い付くことを意図した国家目標の達成のためには、幅広い分野で相当数のリーダーが必要とされるからであり、しかも、リーダーに求められる知識・技術の水準は絶えず向上していく。こういった変革期に、リーダーを質・量両面で安定的に養成するためには、これまでの身分に依存したシステムではうまく機能しないし、レッセ・フェール(自由放任)の過程から優れたリーダーが次々と安定的に登場してくるとも考えにくい。したがって、より効率的な人材養成、登用のシステムが必要である。この必要性を満たすものと当時考えられたのが学歴社会・学歴主義であった(もっともこのような呼び名が定着するのは1960年代の話である)。学校という場にできるだけ広い諸階層の子供を集め、そこで一定のルールに基づいて子供を競わせる。そして学校という場でのパフォーマンス(成績、実績)に応じて社会的・職業的地位を割り振るというわけである。
[山内乾史 2018年5月21日]
学歴社会は、一方では国民の精神的・知的統合や識字率の向上など文化的基盤を整備する役割を果たし、他方では多方面にわたるリーダーを質・量ともに安定的に供給する役割を果たした。つまりひとことでいえば、近代日本を支えてきたメカニズムだったのである。しばしば学歴社会は実力社会・能力社会と対置されて語られてきており、実力社会・能力社会の実現を阻害するものであるかのように語られることが多かった。そして「実力社会・能力社会」を実現している国の例として、欧米諸国、ことにアメリカがあげられることが多かった。しかし、上述のような経緯からいえば、学歴社会は「実力社会・能力社会」の実現を阻害するものではなく、むしろそれを実現する手段の一つと考えられたとみるべきである。アメリカをはじめとする欧米社会にしても、むきだしの「実力社会・能力社会」を現実のものにしているのではない。たとえば、前の勤め先での上司や有力者の評価、推薦状が重視されるとか、その分野での過去の実績が重視されるとか、いわば経歴社会・履歴書社会ともいうべき状況にある。経歴社会であることが、これらの社会にとっては「実力社会・能力社会」を実現するための方策なのである。日本の場合はその経歴が実務面での経歴ではなく、教育面の経歴(学歴)であるにすぎない。
もちろん、先述のようなジャーナリスティックな批判だけでなく、データに基づくアカデミックなレベルの批判も数多い。たとえば、学歴社会は一見平等な条件のもとでの競争的な社会にみえるが、実は階層の再生産にくみするものでしかないという見方がそれである。しかし、逆に学歴社会化を図る動きも1990年代以降みられる。日本では欧米諸国と比べて大学卒業者の数はトップ・クラスにあるが、そのうちで大学院に進学するものの比率は低い。しかし、国際機関に就職する際、修士の学位をもっていることはあたりまえで、学士の学位のみではマイナスになるという状況がある。また外交官、大使クラスの学歴をみると、低学歴社会の国でも修士・博士の学位をもつ者が多くを占めるのに対して、日本の外交官、大使クラスは学士の学位しかもたない者が多い。もっと職業訓練の場、高度な知識・技術を身につける場として大学・大学院を編成し直し、大学院入学者を増やして、専門職などの高度な知識・技術を必要とする職業人を養成するべきであるという主張は根強い。これらの主張はすでに法科大学院、教職大学院、MBA、会計大学院等の形でかなりの程度実現している。また、長らく大学では、文系の教員を中心に博士号を取得していない者が多く存在したが、2000年代以降は博士号取得を新規採用、昇進の必須(ひっす)条件とする大学が増えている。
[山内乾史 2018年5月21日]
さらに、日本で盛んに学歴社会批判が展開される一方で、開発途上国においては教育を人間のもつ根本的なニーズ(べーシック・ヒューマン・ニーズ)の一つととらえ、就学率を上げるべく、国際機関の援助を受けながら国際・国内の官民が一体となって取り組んでいる。そして、それがよりよい職業機会につながるのであり、貧困層の貧困からの脱出を助けるというストーリーもまだ生きている。いわば明治期の日本のように意図的に学歴社会化を進めようとする社会もあるのである。
重要なことは、学歴を固定的な個人の属性ととらえずに、可変的なその人の知識、技術の水準を表すものとして、また受けてきたトレーニングの証(あかし)として受け取ることであり、現実に高等教育機関で行われている教育改革もそのような視点から生涯学習社会の実現に向けて走り始めていると考えられる。もちろん、その前提として教育機会の均等化がよりいっそう図られねばならないのは当然である。
[山内乾史 2018年5月21日]
『井上勲編著、高津隆暉他著『社会教育要説 学歴社会から学習社会へ』(1994・大学教育出版)』▽『ロナルド・フィリップ・ドーア著、松居弘道訳『学歴社会 新しい文明病』(1998・岩波書店)』▽『山内乾史著「学歴社会と教育」(宮崎和夫・米川英樹編『現代社会と教育の視点』所収、2000・ミネルヴァ書房)』▽『本田由紀・平沢和司編著『リーディングス 日本の教育と社会2 学歴社会・受験競争』(2007・日本図書センター)』
人々の職業的地位,さらには一般に社会的地位を決定づける要因として,学歴が重視される社会。この用語は,日本では1960年代に入るころから広く使われ始め,欧米諸国でも,70年代になるとこれに相当するクレデンシャル・ソサエティcredential society(資格証明の社会)という言葉が,社会科学者の間で使われるようになった。
職業に代表される社会的地位の規定要因として,学歴が重要性をもつようになったのは,近代産業社会の成立以降のことである。それ以前の社会では,人々の地位は身分,家柄,財産などによりあらかじめ決められており,学歴は人々がすでに一定の地位にあることを象徴する役割を果たすにすぎなかった。ところが,18世紀から19世紀にかけて近代的な官僚制度が成立して,行政官僚の試験による任用が始まり,また医師,法曹,教育,技術者のような高度の専門的知識・技術を必要とするプロフェッションについても試験の制度がとり入れられるとともに,学歴はそれら社会的に高く評価される職業につくための基礎資格として,しだいに重要性を増していった。産業社会の学歴社会化は,このように,学歴が特定の職業的地位を獲得するための手段となったときに始まったとみることができる。
その学歴社会化を急速に推し進める役割を果たしたのは,一つには学歴を賦与する学校制度自体の発展であり,もう一つは,企業組織の官僚制化がもたらした職員層,いわゆるホワイトカラー層の成長である。学校教育についていえば,それは量的な拡大を遂げるとともに,上級学校への進学者について一定の学歴を要求する傾向を強め,同時にますます多くの人々に学歴を賦与するようになった。また官僚制化の進行とともに,企業は成長する職員層の供給源を学校卒業者に依存する度合を高めてきた。こうして現在では,事実上すべての人々がなんらかの学歴をもち,その学歴が専門的職業に限らず,他のさまざまな公的・私的組織の職業について,採用や任用の基礎的な資格条件とされるようになっている。
このように学歴社会化の基底をなす学歴の職業資格化は,学歴が職業活動に必要な知識・技術の水準や内容の指標である限り,合理的,進歩的な性格をもっている。しかし先進産業社会がほぼ成熟の段階に達した1960年代以降,〈学歴社会〉や〈クレデンシャル・ソサエティ〉という用語が登場してきた背景には,そうした社会の学歴社会化がさまざまな病理現象をもたらしている現実のあることを見のがしてはならない。学歴の重要性が増すとともに,学校教育の機会は絶えず拡大され,開放されてきた。にもかかわらず,いやそれゆえにこそ,より高い学歴の獲得を目ざす競争は激しさを増す一方であり,多くの国で受験地獄が深刻な問題になりつつある。また学校で習得した知識・技術の水準や内容の指標にすぎない学歴が,目覚ましい技術進歩の現実にもかかわらず,一生,人々の能力評価の尺度とされ,さらに広く社会的な評価や序列づけの指標として使われること(学歴の新しい身分化)に対する強い批判も多くの国で聞かれる。〈学歴病〉と呼ばれるこうした病理現象には,国によって著しい違いがあり,日本を典型として,産業化を後発した国々でより深刻化していることが知られている。それは急速な産業化を目ざすこれらの国が,高度の知識・技術を要求される職業人の養成・供給を学校に全面的に依存することにより,急速に学歴社会化の道をたどってきた結果である。しかし同時に,それが産業社会の基本的な構造に根ざした,産業社会に共通の問題であり,先進諸国もまた同じ病理現象に悩まされ始めていることを忘れてはならない。
→学閥 →試験
執筆者:天野 郁夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
社会的出自の如何にかかわらず,獲得した学歴によって社会的地位が規定される程度の高い社会。高学歴の保持者ほど,高い社会的地位が与えられるため,学歴を獲得するまでの過程が重視される。日本社会はその典型であるが,近代産業社会では程度の差はあれ,学歴は能力や知識技能の保有証明書とみなされ,人々の選抜・配分の基準となり,その結果を正統化する機能を担っている。この価値観が人々に共有されれば,「よい学歴→よい仕事→よい人生」という筋書をもつ学歴主義が広まることになる。しかし,この程度が極端になると,受験競争の激化,学校の序列化,学歴の社会的身分への転化,学歴インフレーションの進行など,「学歴偏重社会」と呼ばれるさまざまな弊害を引き起こす。このような学歴社会の弊害を,ロナルド・ドーア,R.P.(Ronald P. Dore, R.P.)は近代社会の「文明病」と診断し,それはとくに近代化を開始した時期が遅い国ほど顕著(後発効果)であると指摘した。
著者: 大前敦巳
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…学校の制度や教育内容には問題が山積しているのだが,生活に余裕のあるかぎり,その学校教育を少しでも長く受けようとし,しかも進学率や,安定した職業への就職率の高い学校への進学を希望する者は,20世紀後半,各国で増加してきた。ときには本人よりも親の希望によるところが大きく,学歴社会と称してこれも国際的な問題として広がり始めている。日本でも学歴社会の問題がたびたび指摘されてきたが,事態がより深刻なのは発展途上国であり,それだけに学校の未来には解決を要する課題が山積していることになる。…
…高文の制度化により情実任用が排され学校体系と人材登用試験が結合した結果,貧家の秀才にも立身出世の機会が保障される社会移動の回路が形成された。そして明治末年には学閥官僚の優位が確立し,大正期には学歴社会が成立する。そのため一高―東大法学部―高文を頂点とする進学競争が激化する。…
※「学歴社会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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