デジタル大辞泉
「平林初之輔」の意味・読み・例文・類語
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平林 初之輔
ヒラバヤシ ハツノスケ
大正・昭和期の文芸評論家,翻訳家,社会運動家
- 生年
- 明治25(1892)年11月8日
- 没年
- 昭和6(1931)年6月15日
- 出生地
- 京都府竹野郡深田村黒部(現・弥栄町黒部)
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学仏文科〔大正6年〕卒
- 経歴
- 早くから「中学世界」などに投稿し、大正7年やまと新聞に入社して文芸評論を発表。この頃からマルクス主義を学び、10年「民衆芸術の理論と実際」を発表。文芸評論家として活躍する一方で社会運動家としても活躍し、11年日本共産党に入党。同年「種蒔く人」同人となり、12年「無産階級の文化」を刊行し、プロレタリア文学の理論家として活躍。13年「文芸戦線」の創刊に参加。15年博文館の「太陽」編集主幹となる。昭和4年「文芸理論の諸問題」を刊行。またルソーの「エミール」など多くの翻訳もある。没後の7年「平林初之輔遺稿集」が刊行された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
平林初之輔 (ひらばやしはつのすけ)
生没年:1892-1931(明治25-昭和6)
文芸評論家。京都府の生れ。早大英文科卒。1918年やまと新聞に入社し,文芸時評を担当。20年国際通信社に移り,青野季吉らとマルクス主義を研究。のち《種蒔く人》《文芸戦線》同人となり,初期プロレタリア文学運動の代表的理論家として活躍した。31年国際文芸家協会大会出席のため渡仏,パリで客死する。著書に《無産階級の文化》(1923),《文学理論の諸問題》(1929)などがある。
執筆者:関口 安義
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平林初之輔【ひらばやしはつのすけ】
文芸評論家。京都府生れ。早大英文科卒。《種蒔く人》同人となり,唯物史観に基づく文学理論を展開,初期プロレタリア文学の理論的指導者として活躍し《無産階級の文化》を書いた。のちマルクス主義芸術理論を批判し《文学理論の諸問題》を出した。ほかに《日本自由主義発達史》がある。
→関連項目太陽|文芸戦線
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平林初之輔
ひらばやしはつのすけ
(1892―1931)
評論家。京都府出身。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。1922年(大正11)雑誌『種蒔(ま)く人』に参加し、マルクス主義にたつ気鋭の文芸評論家、文学理論家として活躍。翌23年、評論集『無産階級と文学』を刊行する。唯物史観による文学理論の支柱として高く評価された。しかし運動が統廃合され、政治的に急進化するにつれて離脱。のち『政治的価値と芸術的価値』(1929)を著してプロレタリア文学運動に懐疑的な批判を投げかけて大きな論議を巻き起こした。それを含む後期の評論は『文学理論の諸問題』(1929)にまとめられている。31年(昭和6)パリで客死。柔軟にして科学的な文学研究家であるとともに、推理作家、翻訳家としても知られる。
[紅野謙介]
『『平林初之輔文芸評論全集』全三巻(1975・文泉堂)』
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平林初之輔
ひらばやしはつのすけ
[生]1892.11.8. 京都,深田
[没]1931.6.15. パリ
評論家。 1917年早稲田大学英文科卒業。『唯物史観と文学』 (1921) で認められ,22年『種蒔く人』に参加,『無産階級の文化』 (23) などでプロレタリア文学運動の理論的指導者となった。しかし,『政治的価値と芸術的価値』 (29) で,マルクス主義芸術論を根本的に批判し,芸術の自主性を前面に押し進めることを試みた。以後,フランス実証主義に基づく文学理論形成に努めた。 31年早大留学生としてフランスに渡り,パリで開かれた第1回国際文芸家協会大会に日本代表として出席したが,同地で客死。ほかに『文学理論の諸問題』 (29) など。
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平林初之輔 ひらばやし-はつのすけ
1892-1931 大正-昭和時代前期の評論家。
明治25年11月8日生まれ。初期プロレタリア文学運動の理論家として活躍。昭和4年の評論「政治的価値と芸術的価値」でプロレタリア文学理論の矛盾をついて論争をひきおこす。昭和6年6月15日パリで客死。40歳。京都出身。早大卒。著作に「無産階級の文化」「文学理論の諸問題」,訳書にルソー「エミール」など。
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平林 初之輔 (ひらばやし はつのすけ)
生年月日:1892年11月8日
大正時代;昭和時代の文芸評論家;社会評論家;翻訳家
1931年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の平林初之輔の言及
【プロレタリア文学】より
…1921年創刊の《[種蒔く人]》誌に結集した小牧近江らは,反軍国主義とその4年前に実現したロシア革命の擁護ということを掲げて,広く進歩的な思想家,作家たちに結集を訴え,明治・大正以来の社会主義文学(木下尚江,石川啄木,宮島資夫(すけお),平沢計七ら)とはちがう新しい運動として出発した。第1次大戦以来のデモクラシーの潮流と,労働者階級の増大,その自覚の成長,小作争議の頻発に見られる農民の新動向などに支えられて,まず進歩派の知識人の運動として始まったのであったが,《種蒔く人》の運動がしだいに進むに伴って,労働者階級と文学の関係,解放運動と文学の役割などについて理論的な手さぐりが進行し,平林初之輔,青野季吉を中心に革命文学の主張が行われるにいたった。しかし〈革命〉ということばは当時の検閲下では禁句であり,伏字にせざるをえなかったので,革命文学という代りにプロレタリア(労働者階級,無産者)の文学ということばをもち出し,22年ころから〈プロレタリア文学〉ということばが掲げられるにいたった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」