役小角(読み)えんのおづの

精選版 日本国語大辞典 「役小角」の意味・読み・例文・類語

えん‐の‐おづの ‥をづの【役小角】

奈良時代の山岳呪術者。修験道の祖。諡(おくりな)は神変大菩薩。大和葛城山苦行修道し、吉野金峰山(きんぷせん)大峰を開く。文武天皇の時、渡来人系の呪術師らの讒言によって一時伊豆に配流されたという。呪術にすぐれ、神仏調和を唱え、平安時代初期に天台、真言宗密教的側面が山岳信仰と習合し、修験道(しゅげんどう)が発展するにつれて役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれて多くの伝説を残す。えんのおづぬ。えんのしょうかく。役優婆塞(えんのうばそく)生没年不詳。

えん‐の‐しょうかく ‥セウカク【役小角】

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朝日日本歴史人物事典 「役小角」の解説

役小角

生年:生没年不詳
7,8世紀の呪術的宗教家,役行者の名で修験道の開祖とされる。賀茂の一族,のちの高賀茂朝臣の出身で,大和国葛木上郡茅原村(奈良県御所市)の人と伝えられる。大和国葛城山で修行し,呪術にすぐれた神仙として知られ,多くの伝説が生み出された。五色の雲に乗り,大空を飛び,神仙の宮殿で神仙と交わり,心身を養う霊気を吸いたいと願い,岩窟に籠もり,葛を身にまとい,松の葉を食べ,清泉で沐浴し,世俗の汚れを落とし,山林で修行した。孔雀王の呪法を修得し,鬼神を使役して,水を汲ませたり,薪を採らせたりし,鬼神が命に従わないと,験力で自由を束縛した。役優婆塞とも称されるように,仏道修行者とされるが,不老長生の神仙となるために,山林に籠もり,穀物を口にしないで,松の葉や草の根を食料として修行に専心していたので,道教の医術や方術に習熟した行者であった。 文武3(699)年,弟子の韓国連広足に妬まれて,妖術で人々を惑わしていると密告され,伊豆国に流罪にされた。また別に,大和の金峰山と葛城山の間に橋を架け渡せと神々に命じたところ,神々は嘆き,葛城山の一言主大神がある人に乗り移って,役小角が陰謀を企んで,天皇を滅ぼそうとしていると讒言したといわれる。天皇は捕らえようとしたが,役小角の験力のためにかなわず,代わりに母親を人質として捕らえた。母を釈放してもらうために,自ら囚われの身となり,流刑となったが,昼間は伊豆で,夜間は富士山に登って修行を重ね,遂に天を飛ぶことができるようになり,罪を許されると,神仙となって天空に飛び去ったといわれる。修験道の本尊,蔵王権現は,金峰山上で役小角が衆生を救済するのにふさわしい仏を出現させようとして祈願して,湧出させたものという。修験道の開祖として,寛政11(1799)年には,朝廷から神変大菩薩の諡号が贈られた。<参考文献>『続日本紀』,景戒『日本霊異記』

(川村邦光)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「役小角」の解説

役小角
えんのおづの

「えんのおづぬ」とも。生没年不詳。7世紀末,大和国葛城山に住した呪術者。鬼神を役使し,従わねば呪縛するほどの呪術者であったが,699年(文武3)その能力をねたんだ弟子の韓国広足(からくにのひろたり)の讒言(ざんげん)により伊豆島に流された。「日本霊異記」では大和国葛上郡の賀茂役公(えのきみ)(のち高賀茂朝臣)の出身で,三宝に帰依した優婆塞(うばそく)であり,山林修行して孔雀(くじゃく)王の呪法を修習した結果,呪力を得たとする。そして,一言主神(ひとことぬしのかみ)の讒言によって伊豆島に流されたが,その後も富士山で修行して701年(大宝元)に仙となって天に飛んだとする。小角の呪術はそもそも仏教に関係なかったが,平安初期には「日本霊異記」の伝のように仏教者と位置づけられ,鎌倉初期には修験道の祖の「役行者(えんのぎょうじゃ)」として崇められ,江戸時代には朝廷から神変(じんぺん)大菩薩の諡号が与えられた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「役小角」の意味・わかりやすい解説

役小角
えんのおづぬ

奈良時代の山岳呪術者。役行者,役の優婆塞ともいわれる。寛政 11 (1799) 年に修験道の開祖と仰がれ,神変大菩薩の勅諡号を受けた。大和国南葛城郡茅原に生れ,32歳のとき葛城山に登り,孔雀明王の像を岩窟に安置して草衣木食し,持呪観法して不思議の験術を得たといわれる。また諸山岳を踏破し,大和の金峯山,大峰山などを開いて修行したが,彼の呪術は世間の人を惑わすものであるとされ伊豆に流された。のち許されて京に帰ったが以後の消息は不明。山岳信仰と密教とが合流するようになって修験者の理想像とされ,平安時代以降一般の信仰を受け,その足跡を伝える説話は全国の霊山幽谷の地にできあがった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「役小角」の解説

役小角 えんの-おづぬ

?-? 飛鳥(あすか)時代の呪術(じゅじゅつ)者。
大和(奈良県)葛城山にすむ。文武天皇3年(699)妖言によって人をまどわすと弟子の韓国広足(からくにの-ひろたり)に中傷され,伊豆に流される。「日本霊異記」の説話にもみえ,真言密教の呪法をおさめ,神仙術をおこなう人物となっている。平安中期以降山岳宗教の修験道(しゅげんどう)とむすびつき,やがてその開祖とされた。通称は役行者(えんのぎょうじゃ),役優婆塞(えんのうばそく)。

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改訂新版 世界大百科事典 「役小角」の意味・わかりやすい解説

役小角 (えんのおづぬ)

役行者(えんのぎょうじゃ)

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百科事典マイペディア 「役小角」の意味・わかりやすい解説

役小角【えんのおづぬ】

役行者

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「役小角」の意味・わかりやすい解説

役小角
えんのおづぬ

役行者

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世界大百科事典(旧版)内の役小角の言及

【優婆塞・優婆夷】より

…山岳・山林にいた修験者的な呪術者は〈優婆塞〉とも〈禅師〉ともいわれた。このような宗教者の典型は役小角(えんのおづぬ)(役行者)であり,彼は役優婆塞とよばれている。《日本霊異記》には沙弥・禅師とともに優婆塞に関する説話が多く出ている。…

【役行者】より

…生没年不詳。役小角(えんのおづぬ),役君(えのきみ)などとも呼ばれ,後に修験道の開祖として尊崇される。《続日本紀》によると,699年(文武3)朝廷は役君小角を伊豆国に流した。…

【泉南[市]】より

…大阪市から40km圏に位置しているため,近年は住宅地化が進んでいる。市内には熊野参詣の王子社の一つである茅渟(ちぬ)神社や役小角(えんのおづぬ)が開いたと伝える金熊(きんゆう)寺などがある。【秋山 道雄】。…

【僧】より

…だが,国家や貴族が仏教を独占し,民間への布教をとめることは結局のところ不可能だった。農民を妖惑したという理由で,政府が699年(文武3)役小角(えんのおづぬ)(役行者)を伊豆に流し,717年(養老1)行基らを弾圧した事件は,仏教が民間に流布し,政府がこれを極度に警戒したことをよく示している。しかし,現実には,8世紀以降公民層の分解が進行するなかで,正規の手続をしないで出家した私度僧(しどそう)が輩出し,彼らは民間で法を説き,諸国を遊行(ゆぎよう)し,あるいは在地で妻子を養って俗人と変わらない生活を営んだ。…

※「役小角」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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