杉森久英(読み)スギモリヒサヒデ

デジタル大辞泉 「杉森久英」の意味・読み・例文・類語

すぎもり‐ひさひで【杉森久英】

[1912~1997]小説家石川の生まれ。雑誌文芸」の編集長として、戦後派作家を数多く世に出した後、自らも作家となる。さまざまな分野で活躍した人々の伝記小説を書き、昭和史の発掘にも尽力した。「天才と狂人の間」で直木賞受賞。他に「近衛文麿」「天皇の料理番」など。

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20世紀日本人名事典 「杉森久英」の解説

杉森 久英
スギモリ ヒサヒデ

昭和・平成期の小説家,評論家



生年
明治45(1912)年3月23日

没年
平成9(1997)年1月20日

出生地
石川県七尾市

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部国文科〔昭和9年〕卒

主な受賞名〔年〕
直木賞(第47回)〔昭和37年〕「天才狂人の間」,文芸春秋読者賞(第24回)〔昭和38年〕「昭和の謎辻政信伝」,平林たい子文学賞(第13回)〔昭和60年〕「能登」,毎日出版文化賞(第41回)〔昭和62年〕「近衛文麿」,勲三等瑞宝章〔平成1年〕,中日文化賞(第46回)〔平成5年〕,菊池寛賞(第41回)〔平成5年〕,七尾市名誉市民

経歴
在学中「新思潮」に参加。旧制中学教諭、中央公論社、日本図書館協会などを経て、戦後、河出書房に入社。「文芸」の編集長を務め、第1次戦後派の生長に尽力。昭和28年に「猿」で芥川賞候補となり、以後文筆生活に専念諧謔、風刺的な中間小説を多数発表。37年に同郷の島田清次郎生涯を描いた「天才と狂人の間」で第47回直木賞を受賞。これにより伝記小説作家として高い評価を得る。代表作に「辻政信」「徳田球一伝」「大風呂敷」「啄木の悲しき生涯」「大谷光瑞」「夕陽将軍―小説・石原莞爾」「小説坂口安吾」「天皇料理番」など様々な分野の伝記作品がある他、風土的自伝小説「能登」がある。日本ペンクラブ副会長を務めた。平成10年遺族により1万冊を超える蔵書、雑誌、直筆の原稿などが七尾市立図書館に寄贈され、杉森久英記念文庫が設立された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「杉森久英」の意味・わかりやすい解説

杉森久英
すぎもりひさひで
(1912―1997)

小説家、評論家。石川県生まれ。東京帝国大学国文科卒業。在学中に第十一次『新思潮』に参加、創作を始める。中央公論社、大政翼賛会文化部などを経て、第二次世界大戦後河出書房に入社、雑誌『文芸』の編集長として、野間宏(ひろし)、中村真一郎ら第一次戦後派登場に貢献。1953年(昭和28)小説『猿』によって注目され、以後文筆生活に入る。同郷の異色作家島田清次郎(せいじろう)の一生を資料面から調べ上げた伝記小説『天才と狂人の間』(1960~61)によって直木賞を受賞。以後『辻政信(つじまさのぶ)』(1963)、『啄木(たくぼく)の悲しき生涯』(1965)、『明治の宰相』(1969)などのほか、『伝説と実像』(1967)などで昭和史の発掘を試み、伝記作家として活躍した。

[尾形国治]

『『天才と狂人の間』(角川文庫)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉森久英」の解説

杉森久英 すぎもり-ひさひで

1912-1997 昭和後期-平成時代の小説家。
明治45年3月23日生まれ。第二次大戦後河出書房にはいり,「文芸」編集長をつとめる。昭和37年島田清次郎の生涯をえがいた「天才と狂人の間」で直木賞,60年「能登」で平林たい子文学賞,62年「近衛文麿」で毎日出版文化賞。平成5年伝記小説に一時代を画した功績で菊池寛賞。平成9年1月20日死去。84歳。石川県出身。東京帝大卒。

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367日誕生日大事典 「杉森久英」の解説

杉森 久英 (すぎもり ひさひで)

生年月日:1912年3月23日
昭和時代;平成時代の小説家;評論家。日本ペンクラブ副会長
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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