柄井川柳(読み)カライセンリュウ

デジタル大辞泉 「柄井川柳」の意味・読み・例文・類語

からい‐せんりゅう〔からゐセンリウ〕【柄井川柳】

[1718~1790]江戸中期の前句付け点者。江戸の人。名は正通。通称、八右衛門。別号、無名庵。その選句を川柳点とよび、付句が独立して川柳とよばれるに至った。宝暦7年(1757)、「万句合まんくあわせ」を刊行、のち、その中から佳句を選んで「誹風柳多留はいふうやなぎだる」を出版。

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精選版 日本国語大辞典 「柄井川柳」の意味・読み・例文・類語

からい‐せんりゅう【柄井川柳】

  1. 江戸中期の雑俳の点者。通称、八右衛門。江戸浅草龍宝寺門前町の名主。雑俳の点者となり万句合を始めたのは宝暦七年(一七五七)、四〇歳の時で、以後前句付の点者として評判をとり、その選句を川柳点、また、川柳と呼ぶ。明和二年(一七六五)、川柳評万句合の中から佳句を抜いた「誹風柳多留」を出版、生前に二三編に及ぶ。享保三~寛政二年(一七一八‐九〇

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改訂新版 世界大百科事典 「柄井川柳」の意味・わかりやすい解説

柄井川柳 (からいせんりゅう)
生没年:1718-90(享保3-寛政2)

江戸中期の前句付専門点者。名は正通。幼名勇之助。通称八右衛門。緑亭,無名庵と号す。浅草新堀端に住む。38歳で竜宝寺門前町などの名主を継ぎ,1757年に前句付点者となり,山手を中心地盤に,1~7月を休み,毎年8月から年末まで月並み興行。都会的俳諧的な句を採って人気を得,明和(1764-72)中には江戸の第一人者となったが,安永(1772-81)以後は狂歌に押され下降気味であった。なお,この定例会のほか,休会中も,角力会や組連主催の五の日興行の〈五五(ごご)の会〉の撰もしたが,彼の名を高めたのは高点付句集《柳多留》であった。単独句鑑賞用のこの句集が,独立詠としての川柳風狂句という新様式を生み,前句付点者川柳は,川柳風狂句の祖と仰がれることになる。ただし,彼の作品は発句3句のみで,作品をもたぬ点者として特異な存在といえる。辞世は〈凩(こがらし)やあとで芽をふけ川柳〉と伝わるが疑わしい。

 2世以後の川柳諸代のうち,とくに活躍したのは,〈俳風狂句の祖〉を名のった4世川柳眠亭賤丸(みんていせんがん)(1778-1844)と,〈柳風狂句〉と改称した5世川柳腥斎佃(なまぐさいたつくり)であるが,観念的教訓的な句に落ちてしまった。
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朝日日本歴史人物事典 「柄井川柳」の解説

柄井川柳

没年:寛政2.9.23(1790.10.30)
生年:享保3(1718)
江戸時代の前句付点者。名は正通,通称は八右衛門。俳号を緑亭または無名庵,川柳という。柄井家はもと京都の住であったが,曾祖父柄井将曹の代に江戸に下る。38歳のとき,浅草新堀端の竜宝寺門前の名主の職を継ぐ。初め談林派の宗匠であったが,宝暦7(1757)年8月25日に初めての万句合を興行する。以後,毎年8月から年末まで月並興行をしていた。応募句の取次所を広義の江戸に限定し,都会的俳諧的な句を重視したため人気を得て,宝暦12年には応募句が1万句を越えるほどになった。こうしたなかで,もともと選者の俳号であったはずの「川柳」が,やがてはその作句自体をさすようになる。 とりわけ前句付作者川柳の名を高めたのは『俳風柳多留』初編である。これは明和2(1765)年,社中の呉陵軒可有(俳号木綿)が編集し,下谷竹町の版元星運堂こと花屋久治郎から出版された。慶紀逸編の雑俳集『武玉川』にならい,前句を省略し,縦小本とした画期的なものであった。これが独立詠としての川柳風狂句という新様式を生んで,川柳は川柳風狂句の祖と仰がれることになる。ただし,彼の作品は発句3句のみで,作品を持たぬ,点者としては特異な存在といえるだろう。呉陵軒は『柳多留』22編を編集した天明8(1788)年に没し,続いて川柳も寛政2(1790)年に没する。「木枯らしやあとで芽をふけ川柳」の辞世があるが,本人の作かどうか疑わしい。竜宝寺に葬られる。戒名,契寿院川柳勇緑信士。現在その命日は川柳忌と定められている。翌3年の『柳多留』24編には追善句合が載る。川柳が点者となって33年間で万句合は定会だけで応募句数が230万句を超えた。まさに江戸随一の俳諧点者であったといえよう。

(園田豊)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柄井川柳」の意味・わかりやすい解説

柄井川柳
からいせんりゅう

[生]享保3(1718).江戸
[没]寛政2(1790).9.23. 江戸
江戸時代中期の前句付点者 (まえくづけてんじゃ) 。名,正道。通称,八右衛門。代々江戸浅草新堀端の名主。宝暦7 (1757) 年初めて万句合 (まんくあわせ) の点者となった。それ以前の経歴は未詳で俳人であったともいわれる。江戸の前句付点者のうち,時代性を察する早さ,選句の公平さと巧みさにより人気を得,以後 33年間にわたって江戸前句付点者の首位に立ち,230万句もの投句を集めた。その人気のゆえに,川柳の選句を特に川柳点と称した。自身の句はほとんど残っていない。明和2 (65) 年その選句のなかから前句付作者呉陵軒可有 (ごりょうけんあるべし) が 756句選び,前句抜きで『柳多留 (やなぎだる) 』として出版,いわゆる川柳というジャンルが確立した。柄井川柳の選句を収めた『柳多留』は 24編出版され,後継者に引継がれた。

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百科事典マイペディア 「柄井川柳」の意味・わかりやすい解説

柄井川柳【からいせんりゅう】

江戸中期の前句付の点者。名は正通。通称八右衛門。江戸浅草新堀端に住み,竜宝寺門前町の名主。川柳の始祖。1757年前句付の点者となり,以後毎年,万句合興行を行い,評判をとる。その選句を川柳点と称した。1765年,高点の選句を集めた前句抜きの付句集《柳多留》初編を刊行,その編集形態により,付句は,付味(つけあじ)ではなく独立した一句として鑑賞されるようになり,現在の〈川柳〉の形態を確立していくことになる。川柳の号は代々引き継がれ,現在に及ぶ。
→関連項目柳多留

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「柄井川柳」の解説

柄井川柳
からいせんりゅう

1718~90.9.23

江戸中期の前句付点者。通称八右衛門。江戸浅草新堀端の竜宝寺門前の名主。前句付点者として1757年(宝暦7)8月25日最初の万句合を興行。以降,月3回5の日に興行。62年10月15日には総句高1万句をこし,流行ぶりがうかがえる。川柳の出題は前句付の14字題と冠付のみであり,総句高に対する番勝句の比率も高い。新しい趣向を好み,選句眼にも優れていたことが,上級武士も含む江戸の作者の嗜好にかなった。65年(明和2)7月刊の「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」は,川柳評前句付の流行に拍車をかけた。川柳の号は5世まで襲名された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柄井川柳」の解説

柄井川柳 からい-せんりゅう

1718-1790 江戸時代中期の前句付(まえくづけ)点者。
享保(きょうほう)3年生まれ。江戸浅草竜宝寺門前の名主をつとめるかたわら,宝暦7年初の万句合(まんくあわせ)を興行。明和2年付句(つけく)を抜粋した句集「柳多留(やなぎだる)」が人気を得,付句は短詩として独立し,点者の俳号から,のちに川柳とよばれた。寛政2年9月23日死去。73歳。名は正道。通称は八右衛門。別号に緑亭,無名庵。

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旺文社日本史事典 三訂版 「柄井川柳」の解説

柄井川柳
からいせんりゅう

1718〜90
江戸中期の川柳の始祖
通称田中八右衛門。号は無名庵。江戸浅草の人。前句付(7・7の下句を題として前句5・7・5をつける俳諧)の選者として人気を集め,彼の選句だけで10万句もある。その中の名句は『誹風柳多留』に収められている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「柄井川柳」の意味・わかりやすい解説

柄井川柳
からいせんりゅう

川柳

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世界大百科事典(旧版)内の柄井川柳の言及

【川柳】より

…17音を基本とする単独詠だが,発句(ほつく)のように季語や切字(きれじ)を要求せず,人事人情を対象にして端的におもしろくとらえる軽妙洒脱な味を本領とする。江戸の柄井川柳が《柳多留(やなぎだる)》(初編1765)で前句付の前句を省く編集法をとったため,しだいに付け味よりも付句一句の作柄が問題とされ,やがて5・7・5単独一句で作られるようになり,初代川柳の没後,〈下女〉〈居候〉などの題詠として前句付様式から離脱独立した。〈川柳〉の名称が一般化したのは明治の中ごろからである。…

※「柄井川柳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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