政治家。東京都生まれ。1960年(昭和35)慶応義塾大学法学部政治学科卒業。厚相、文相を務めた父橋本龍伍(1906―1962)の死後、1963年衆議院議員に26歳で初当選。1978年大平正芳(おおひらまさよし)内閣で厚相として初入閣、以来運輸相、自民党幹事長、蔵相、党政調会長、通産相などを歴任。中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣の運輸相として旧国鉄分割民営化を手がけた。1991年(平成3)富士銀行(現みずほ銀行、みずほコーポレート銀行)の不正融資に秘書が関わり蔵相を辞任。1995年通産相として日米自動車交渉にあたった。同年9月自民党第17代総裁に選ばれ、1996年1月第82代首相に就任した。同年9月衆議院を解散、10月の小選挙区比例代表並立制のもとでの初の総選挙で自民党は大勝し、11月首相に再選され第二次橋本内閣が発足。1997年9月に第二次改造内閣が発足。1998年の参院選惨敗により、同年7月に辞任。2000年第二次森喜朗(もりよしろう)改造内閣では行政改革担当相、沖縄開発庁長官等を務める。同年小渕派(平成研究会)を引き継ぎ橋本派会長。翌2001年自民党総裁選に立候補し、小泉純一郎に敗れる。2004年、日本歯科医師連盟から橋本派への不正献金問題の責任を受け、同派閥の会長を辞任。2005年8月、総選挙に立候補しないことを表明し、政界を引退した。
[編集部]
『岩見隆夫著『実録・橋本龍太郎』(1995・朝日ソノラマ)』
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