百科事典マイペディア 「橋本龍太郎内閣」の意味・わかりやすい解説
橋本龍太郎内閣【はしもとりゅうたろうないかく】
→関連項目江田憲司|小泉純一郎|55年体制|連立政権
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平成期、橋本龍太郎を首班として組織された第一次、二次にわたる内閣。
[編集部]
(1996.1.11~11.7 平成8)
村山富市内閣総辞職を受けて橋本龍太郎自由民主党総裁を首班に発足した、自民、社民、新党さきがけ3党の連立政権。1993年(平成5)8月に野党に転じて以来、2年5か月ぶりの自民党首相で、「変革と創造」を唱えた。発足当初は住宅金融専門会社問題と沖縄問題という二つの「負の遺産」を村山内閣から引き継ぎ、1996年の通常国会では住専処理に財政支出を盛り込んだ予算案をめぐり与野党が激しく対立、橋本首相の指導力が問われ、内閣支持率も低下をたどった。しかし、4月12日、米軍沖縄基地の整理・縮小問題の焦点である普天間(ふてんま)飛行場返還をアメリカと電撃合意し、外交上の成功で内閣の求心力を高めた。9月には、沖縄の大田昌秀知事から、米軍用地の強制使用手続きの一環である公告・縦覧代行に応じる意向を引き出して沖縄問題に一応の目途をつけ、9月27日に衆院解散を断行した。10月20日の投開票の結果、自民党は過半数に届かなかったものの、公示前勢力から28議席増の239議席を得て、橋本首相の続投を確実にした。
[水野雅之]
(1996.11.7~1998.7.30 平成8~10)
社民、さきがけ両党が閣外協力に転じたため、宮沢喜一内閣以来3年3か月ぶりの自民党単独内閣として発足した。橋本首相は、行政、経済構造、金融システム、財政構造、社会保障、の「五つの改革」(後に教育改革を加え、「六つの改革」)を提唱。「火だるまになって行革を断行する」との決意を示して、行革の柱の中央省庁再編は2001年からの実施を表明、11月28日に首相直属機関の行政改革会議を発足させた。ただ、政権基盤は不安定で、指導力発揮が問われた。1997年9月11日第二次改造内閣が発足。かつてない経済・金融危機の中で争われた参院選惨敗の結果、1998年7月30日に総辞職。同日、小渕恵三内閣が発足した。
[水野雅之]
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