一九世紀前半に中国を訪れた宣教師によって造られた訳語。
キリスト教徒になるために教会が執行する儀礼。ギリシア語のバプテスマは、本来「浸す」という意味の名詞形であるが、水を用いて潔(きよ)めることを通して生命の再生あるいは新生を意味する特別の用語として用いられている。宗教史的にみれば、こうしたたぐいの水による潔めの儀礼はキリスト教だけに限らず、古今東西の諸宗教にも認められ、とりわけ東方の密儀宗教においては洗礼によって再生の神々との神秘的合一が成就(じょうじゅ)され、信徒は悪魔のもたらす火の災害を免れ、神の救いにあずかることができるとみなされるのである。
浸水儀礼が教団入門の儀式として確立されるのは、後期ユダヤにおける改宗者へのバプテスマであろう。近年発見された死海文書にも、バプテスマが教団生活の中心的な儀礼として守られていたことが記されている。『新約聖書』の福音書(ふくいんしょ)に登場するバプテスマのヨハネの浸水式は、このようなユダヤ教的背景から理解される。それは、終末的な、迫りくる神の怒りに対して、倫理的な悔い改めを求めるバプテスマであり、その限りユダヤ教徒に限らず、すべての人々に向かって開かれていた。「マルコ伝福音書」によると、イエスはヨハネからヨルダン川で洗礼を授けられたが、聖書全体を通してイエス自身が自らバプテスマを施したという記録はどこにもない。今日キリスト教会が継承しているバプテスマは、イエスの十字架の死後、教会が独自に採用し、しだいに定式化された儀礼であり、それは聖餐(せいさん)式とともに、教会入会式として守られてきた(「マルコ伝福音書」16章15節、「マタイ伝福音書」28章19節)。もっとも、その根拠とされるイエスのことば自体、後の教会が付加したものとみなされる。バプテスマの意味を単なる入会式の意味から解放し、より深い神学的意味づけを与えたのは使徒パウロである。彼は、バプテスマの儀礼を、キリスト・イエスの死にあずかるバプテスマとしてとらえ、死にあずかるものはキリストの復活にもあずかることができるとした。それまでの「浸水」および「潔め」から、キリストによる「新生」の意味への転換は、このようにしてパウロによって打ち出されたのであるが、パウロは、バプテスマが礼典として呪術(じゅじゅつ)的形式に陥ることを厳しく戒め、バプテスマを通してキリストとともに死んだものが、いかにキリストとともに生きていくかに、信仰者の実存をみようとした。パウロ以後、バプテスマが教会礼典として確立されるにつれ、しだいにその執行権が問われるようになり、それとともに聖職制と位階制を要(かなめ)とする使徒権の継承の問題が、重要な問題として浮かび上がってくることになる。
[山形孝夫]
キリスト教会で行われる入信の儀礼。川や教会堂内に設けられた水槽に全身を浸すもの(浸礼),手で頭に水滴をつけるもの(滴礼),手もしくは容器を用い水を注ぐもの(灌水礼)などの方法がある。洗礼と呼ぶより〈バプテスマbaptisma〉というギリシア語名をそのまま用いる方がよいと考える教派もある。洗礼の理解・方法も教会・教派によって異なっている。一般的なプロテスタント教会においては,信仰を求めて教会に通いだした者を求道者と呼ぶ。キリストを信じて救われたいと願うようになると,洗礼を受けるように勧められる。洗礼を志願するに至った者は教会役員の会議に出て,自分の信仰を言い表し,教会の教えを正しく理解しているか試問され,役員会が受入れを承認したのち洗礼を受ける。洗礼式は,通例日曜日の礼拝において,按手を受けた教師によって執行される。キリスト者の両親が自分の子どもに洗礼を受けさせたいと願い,教会が承認すると,幼児洗礼(小児洗礼)が行われる。その場合,子どもが成人して自覚的に信仰を持ったとき,改めて信仰告白式(堅信礼)を行い,初めて一人前のキリスト者として認められる。カトリック教会などでは洗礼に際し,聖人の名,聖書人名,信仰の諸徳目名により,受洗者に新しい名(洗礼名)を与える。入信に際して,水によって清めを行う例は多くの宗教に見られる。ユダヤ教ではユダヤ人以外の者がユダヤ教に改宗するとき,洗礼を受けてのち,割礼を受けた。イエスに先立って登場したバプテスマのヨハネは,ユダヤ人こそ自分の罪を承認して洗礼を受け,罪からのきよめを受けよと主張した。キリスト教会はこれを継承し,キリストの十字架と復活の救いを経験するのに不可欠のこととし,聖餐とともにサクラメント(聖礼典,秘跡)とした。しかし,洗礼を救いに不可欠な手続とは認めない日本の無教会派のような集団も存在する。
→サクラメント
執筆者:加藤 常昭
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…洗礼名のこと。バプティスマル・ネームbaptismal nameともいい,姓に対する名(ファースト・ネーム)の意に用いられることもある。…
…復活のイエスと魚との図像的結合は,こうした物語伝承を背景に成立したということができる。また魚は,キリスト教典礼の一つである洗礼との関連においても用いられるが,これは暗黒の水中深く姿を隠し,再び水面にあらわれ出る魚類の生態にちなんで,暗い死の国から脱出し明るい復活の人生を歩もうとするキリスト教徒を意味している。最古の用例としては,テルトゥリアヌスの《洗礼論》があるが,同様の用例は,すでにアレクサンドリアのクレメンスの著作など初期キリスト教文学に見いだされる。…
… ラテン語のsacramentumとmysteriumとは,最初は同義語として諸教父や典礼の文書に使われていたが,やがてmysteriumのほうは,理性だけでは理解できないが啓示によって初めて信仰の対象となる奥義の意味になり,sacramentumは,アウグスティヌス(430没)のころから,救いの恵みの実在の見えるしるしsacramentum visibileのほうを強調するときに使われるようになった。こうして洗礼や聖餐を中心に,教会の諸活動にことばとしるしによるキリストの救いの恵みの実現を見るサクラメント(秘跡)観がしだいに形成された。アウグスティヌスは秘跡における見える物的素材を〈しるしsignum〉,それによって表される神の救いの働きを〈事自体res〉と名付け,これを成立させているのがキリストの秘跡制定の〈ことばverbum〉であると考えた。…
…なお農家や商家でも名付親の慣行は広範にかつ長期にわたり実施されている。【五味 克夫】
[ヨーロッパ]
初期キリスト教時代には洗礼と霊名nomen spiritualeをつけることは別のことであったが,3世紀ごろから霊名をつけることが洗礼の重要な行事となった。原罪が教義として普及すると幼児洗礼を出生後すみやかに行うようになり,母親のかわりに代母が立ち会い,父のかわりに代父が洗礼盤の上で幼児を支える役をするようになった。…
… ついで水にはもともと,たんに飲料や農耕のためとしてだけではなく,物心両面にわたる汚穢(おわい)を洗い流す霊威があると信じられ,そこから多種多様の祓浄儀礼が生みだされた。キリスト教世界では,古くからの水による清めの儀式をとり入れて洗礼(バプテスマ)の儀礼を入信の典礼として定式化した。またインドのヒンドゥー教では,河川が豊穣・祓浄の源泉として神聖視され,とりわけガンガー(ガンジス)川の水はすべての死者の魂を昇天させる浄化力があると信じられた。…
※「洗礼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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