江戸後期・維新期の俠客。駿河国有渡郡清水湊の海運業三右衛門の三男として生まれ,のち母の弟である米屋山本次郎八の養子となる。山本長五郎が本名で次郎長は通称。幼年期より粗暴の性質であった。1835年(天保6)に養父が死去し,家業を相続した。41年に博徒の仲間に入り俠名をあげ,多数の子分を従えた。縄張争いのため,尾張八尾ヶ獄の久六,甲州黒駒の勝蔵,伊勢の安濃徳らとたびたび抗争した。68年(明治1)に倒幕のため東上した東海道総督府より,道中探索方を命ぜられ,帯刀を許された。同年秋幕府の脱出兵が咸臨丸で清水湊に停泊,船内残留者が官軍の兵艦に襲われ,死体が海中に投ぜられた。次郎長はこれを収容し,巴川畔の向島の地に埋葬,山岡鉄舟の書になる〈壮士墓〉の碑を建てた。のち囚人を使役して,富士の裾野の開墾に従事するなど明治政府の施策に協力した。墓は清水市の梅蔭寺。
執筆者:吉原 健一郎
講談,浪曲の題材としての清水次郎長を定着させたのは,講釈師の3代目神田伯山であるが,この伯山のところに日参して稽古した浪曲師2代目広沢虎造のラジオ放送やレコードによって昭和初期の大衆にとって英雄の存在にまで高められた。《清水次郎長伝》の原典とされている伯山の講談は,主として天田愚庵の《東海遊俠伝》によっている。天田愚庵は,清水次郎長一家に寄宿したことのある歌人であるが,《東海遊俠伝》は,次郎長の存命中に,しかもその釈放運動に益するために書かれた気味もあり,もっぱら次郎長の功績をたたえることに終始している。それだけに,講談や浪曲に描かれた清水次郎長の人間像には,正統的な史実によっているとはいいかねる部分が多分にある。清水一家を組織して,抗争を重ねながら海道一の親分になりあがっていく過程が,義理と人情をふまえた人間的な魅力の一面だけでとらえられ,権力志向者としての側面に目をつぶっているのである。
執筆者:矢野 誠一
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江戸後期の博徒。本名は山本長五郎。駿河国(するがのくに)有渡(うど)郡清水港美濃輪(しみずみなとみのわ)(現、静岡市清水区美濃輪町)の船持船頭高木三寿郎の子として生まれる。生後まもなく叔父の米穀商「甲田屋」山本次郎八の養子となる。通称次郎長は次郎八方(かた)の長五郎で、相続人の意。幼くして悪党の評があり、家業のかたわら博奕(ばくち)に手を出し、賭場(とば)に出入りするようになる。1842年(天保13)賭場のもつれから博徒に重傷を負わせて他国に逃げ、無宿渡世(むしゅくとせい)に入る。以後清水に戻ったのちも、喧嘩(けんか)、博奕で次郎長一家の名をあげ、黒駒勝蔵(くろごまのかつぞう)、江尻熊五郎(えじりのくまごろう)らを抑えて400人余りの博徒の盟主になったと伝えられる。後代仁侠(にんきょう)の徒として神田伯山(かんだはくざん)、広沢虎造(ひろさわとらぞう)らにより講談・浪曲の世界でもてはやされたのは、次郎長の養子天田五郎(あまだごろう)(愚庵(ぐあん))が『東海遊侠伝』(1884)を刊行してからである。もっとも、1868年(明治1)東海道総督府判事、伏谷如水(ふせやじょすい)から旧悪を許され帯刀の特権を得、新政府の東海道探索方を命じられてからは、囚人を使役して富士の裾野(すその)を開墾したり、汽船を建造して清水港発展の糸口をつけたり、その社会活動は精力的でみるべきものが多い。明治26年病死、葬式には1000人前後の子分が参列したという。静岡市の梅蔭寺(ばいいんじ)に墓がある。
[藤野泰造]
『今川徳三著『日本侠客100選』(1971・秋田書店)』▽『今川徳三著『東海遊侠伝――次郎長一代記』(1982・教育社)』
(平岡正明)
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…日露戦争後の国粋主義流行の風潮に,得意の俠客物(きようかくもの)が人気を博し,〈八丁荒し〉の異名を取った。とくに天田愚庵(あまだぐあん)の《東海遊俠伝》に取材した《清水次郎長》が評判となり,のちにこれは広沢虎造の浪花節に伝わり一世を風靡するところとなった。(4)5代(1898‐1976∥明治31‐昭和51) 本名岡田秀章。…
…こうして,23年という年を中心に,いくつかの動きが〈時代劇〉を生み出すことになる。 まず,松竹が1922年,伊藤大輔脚本,野村芳亭監督,勝見庸太郎主演《清水次郎長》を〈純映画化されたる旧劇〉と宣伝して公開し,翌23年,同じトリオによる《女と海賊》を〈新時代劇映画〉と銘打って世に出した。これが〈時代劇〉という呼称の始まりで,伊藤大輔はその間の経緯を次のように記している(《時代映画》1955年5月号)。…
※「清水次郎長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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