人形浄瑠璃および歌舞伎狂言。5段。文化年間(1804-18)に,山田案山子(近松徳三の別号)が,講釈師司馬芝叟(しばしばそう)の長話《蕣(あさがお)》をもとに竹本重太夫のために書いた浄瑠璃は,上演されずに終わった。1811年(文化8)に雨香園柳浪の挿絵入りの10編の読本《朝顔日記》が成立し,広く読み親しまれたので,その後大坂堀江市の側芝居で《生写蕣日記》と題し歌舞伎化した。次いで,上坂した2世沢村田之助が14年正月大坂の市川善太郎座(角の芝居)で奈河晴助作《けいせい筑紫𤩍(つくしのつまごと)》8幕を上演して好評を博した。このときの配役は,春雨姫・深雪(みゆき)を2世沢村田之助,宮城阿曾次郎・沖津の仁三を3世嵐吉三郎であった。人形浄瑠璃では,32年(天保3)正月に山田案山子の遺稿をもとに翠松園主人の校補で《生写朝顔話》の名題により大坂稲荷社内で上演されたのが最初。この作品に,嘉永(1848-54)ごろ歌舞伎で上演された西沢一鳳作《絵入稗史蕣物語(えいりしようせつあさがおものがたり)》を加味したものが,現在上演される《生写朝顔話》である。原作は大内のお家騒動を扱っていたが,現在はこの部分は割愛され,深雪と阿曾次郎との恋物語のみが上演されている。秋月弓之助の娘深雪は宇治の蛍狩りで阿曾次郎を見初めるが,阿曾次郎が鎌倉へ赴任するため別れる。その後深雪には大内の家臣駒沢次郎左衛門との縁談が起きるが,それが阿曾次郎の本名とも知らず家出し,流浪の末に眼を泣きつぶし,かつて阿曾次郎が詠じた朝顔の歌をうたって宿場をさすらううち,島田の宿の戎屋で駒沢とめぐり会う。盲目の深雪は恋人の前とも知らず,琴を弾き朝顔の歌をうたうが,駒沢は周囲の手前名のれずに去る。あとで阿曾次郎と知った深雪は,大井川まで追ってゆくが,おりからの雨で川止め。前途をはかなんで入水するが,戎屋に救われる。ここの深雪の愁嘆が見どころ。現行は〈蛍狩り〉〈戎屋〉〈大井川〉の3場が主で,まれに文楽で深雪が流浪の途中で乳母にめぐり会う〈浜松小屋の段〉を上演する。盲目ながら琴を弾くくだりが眼目で,〈世話の阿古屋〉といわれている。
執筆者:落合 清彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。5段。山田案山子(やまだかがし)(歌舞伎(かぶき)作者近松徳叟(とくそう)の別号)遺稿。翠松園主人校補。1832年(天保3)1月、大坂稲荷(いなり)境内の竹本木々太夫座初演。講釈師司馬芝叟(しばしそう)の長話(ながばなし)『蕣(あさがお)』を脚色した雨香園柳浪の読本(よみほん)『朝顔日記』を、1814年(文化11)奈河(ながわ)晴助が2世沢村田之助のため『けいせい筑紫(つくしのつまごと)』の題で歌舞伎脚本化、これを浄瑠璃にしたもの。通称「朝顔日記」。『生写(いきうつし)朝顔日記』の題でも上演される。芸州岸戸藩士秋月弓之助の娘深雪(みゆき)は、宇治の蛍狩りで宮城阿曽次郎(みやぎあそじろう)と互いに恋い染める。のち駒沢(こまざわ)次郎左衛門との縁談を、それが大内家に仕官して改名した阿曽次郎のこととも知らず、拒んで家出し、流浪のすえに盲目となり、かつて宮城が詠じた「朝顔の歌」を歌って門付(かどづけ)をする身になる。そして島田の宿(しゅく)の宿屋戎屋(えびすや)で客に望まれ琴を弾くが、その客こそ宮城で、公用のため名のれずに去る。あとで恋人と知った深雪は大井川まで追って行くが、川留めで渡れず、悲嘆のあまり入水(じゅすい)しようとするところを、戎屋の亭主徳右衛門(とくえもん)と秋月の僕(しもべ)関助(せきすけ)に救われる。メロドラマ的なすれ違いの手法が特色で、序段の「蛍狩り」、四段目の「宿屋」「大井川」が歌舞伎でも多く上演される。なお、人形浄瑠璃では「宿屋」の前半、藪(やぶ)医者萩野祐仙(はぎのゆうせん)が活躍する「笑い薬」の段がチャリ場(滑稽(こっけい)な場面)として有名。
[松井俊諭]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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