丹波・近江・若狭の三国国境の
由良川に合流する主な河川は北桑田郡美山町で
現在の由良川は
があり、近世の地誌「丹後旧事記」は「大雲川」と記し「由良川を云、延喜式に宇良といふ」とある。このように「おくも」に「大雲」の字をも用いる場合もあり、現大江町に大雲橋がある。そのほか由良川の部分名として養和元年(一一八一)九月一六日付官宣旨(松尾大社文書)に「応永停止松尾社領当国天田河甲乙輩魚釣事」とある。この
由良川の漁業に関する初見は先述の養和元年九月一六日付宣旨で、
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京都府,滋賀県,福井県境の三国岳(776m)付近に発して西流,福知山盆地西端付近から北流して宮津市由良で若狭湾中の栗田(くんだ)湾に注ぐ川。幹川流路延長146km,全流域面積1880km2。上流部では大野川,京都府船井郡京丹波町の旧和知町付近では和知川,福知山市付近では音無瀬(おとなし)川などとも呼ばれ,古くは天田(あまだ)川,大芋(大雲)(おくも)川などの称もあった。上流部では峡谷や河岸段丘を形成する。集水域が広く,福知山盆地では土師(はぜ)川,牧川など多くの河川の水が集中,盆地出口が狭隘なためしばしば洪水が起こった。一方,河底のこう配がゆるやかで内陸部まで遡行できるため,輸送・交通の手段として重要な水路であった。河口の由良湊は西廻航路と内陸水運の結節点で,古くから廻船に従事する者がいて繁栄したことは,説経節《山荘太夫》,浄瑠璃《由良湊千軒長者》の舞台となったことなどからもうかがわれる。明治後期には蒸気船も就航したがまもなく廃され,鉄道の発達とともに舟運は絶えた。水量調節などのため,上流部には大野ダムがある。
執筆者:金田 章裕
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京都府中央部の丹波(たんば)高地から北流して日本海に注ぐ川。一級河川。延長146キロメートル、流域面積1880平方キロメートル。京都府と滋賀県、福井県境の三国(みくに)岳(776メートル)に源を発し、高屋(たかや)川、上林(かんばやし)川などの支流を集めて福知山盆地を東から西に貫流する。盆地の西端で土師(はぜ)川、牧(まき)川をあわせ、流路を北に転じて宮津(みやづ)市と舞鶴(まいづる)市にまたがる栗田(くんだ)湾で日本海に流入する。福知山盆地から上流は4、5段の河岸段丘が発達する。福知山盆地では河床勾配(こうばい)が緩やかとなって氾濫原(はんらんげん)が広がるが、盆地西端の部分は狭隘(きょうあい)のため洪水が発生しやすく、高さ11メートルの堤防を巡らし、上流には洪水調節用の大野ダム、和知ダムが築造されている。江戸時代には福知山と河口の由良港までを中心に水運が盛んであったが、1904年(明治37)の鉄道の開通で衰退した。
[織田武雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…東部は綾部市,西部は福知山市に属する。丹波高地と丹後山地の間,由良川流域の東西に長い構造性の盆地で,周辺には標高450m前後の山地や長田野(おさだの),以久田野などの洪積台地が発達し,河岸段丘が形成される。盆地東端から流入した由良川は,西流して南東からの土師(はぜ)川,南西からの和久川,西からの牧川などを合わせ,北に向きを変えて流れ出る。…
※「由良川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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