江戸中期の思想家で、石門(せきもん)心学の創始者。貞享(じょうきょう)2年9月15日に丹波(たんば)国桑田郡東懸(とうげ)村(現、京都府亀岡(かめおか)市)の農家石田権右衛門の二男に生まれる。母はたね。名は興長(おきなが)、通称勘平(かんぺい)。梅岩(巌)は号。11歳で京都に出て丁稚奉公(でっちぼうこう)したが、15歳で一時帰郷、23歳のときふたたび上京し、商家黒柳家に奉公した。幼年時代より理屈好きで求道的な性格をもち、人の人たる道を探求したいと願い、業務に励みながら独学で神儒仏の諸思想を研究した。35歳ごろからそれまでの自得の信念に動揺が生じ、諸方に師を求めるうち、儒仏に通じた小栗了雲(おぐりりょううん)(1668―1729)に巡り会い修行に励む。40歳のとき、いったん開悟したが、さらに1年余の修行を経て自性見識を離れた境地に達した。43歳で奉公を辞し、45歳の1729年(享保14)京都車屋町通御池上ル(おいけあがる)東側の自宅で、聴講自由で席料無料の看板を掲げて講席を開く。初期は聴講者も少なく世評も区々(まちまち)であったが、その教えは彼の誠実な人格と相まって庶民の間に信奉者を増し、弟子の手島堵庵(てじまとあん)や、堵庵門下の中沢道二(なかざわどうに)らの布教活動によって各地に広まり、その学派は石門心学とよばれ、近世思想界に大きな影響を与えた。彼は60歳の延享(えんきょう)元年9月24日、京都の堺(さかい)町通六角下ルの自宅で没し、鳥辺山(とりべやま)延年寺に埋葬された。主著は『都鄙問答(とひもんどう)』4巻、『倹約斉家論』2巻。ほかに門下生との討論をまとめた『石田先生語録』24巻、伝記として『石田先生事蹟(じせき)』などがある。
梅岩の思想的課題は人間の「性」の本質の探求であったが、彼は朱子学に拠(よ)りながらも神儒仏老荘(ろうそう)の諸思想をも自由に取り入れるという柔軟な思考方法により、独自の人生哲学を樹立した。彼は人の「性」はみな「天」より受け得たもので「全体一箇の小天地」であり、本質的に四民(士農工商)の差別はないという。この自覚と自らの体験に基づき、商人の営利追求を賤(いや)しめ、商人を身分的にも道徳的にも劣等視するという当時の社会通念であった賤商(せんしょう)論を否定し、利潤追求を「天理」として、商人の売利は武士の俸禄(ほうろく)と同等のものと説き、商人の社会的役割の意義を積極的に肯定した。また彼は経済生活上の技術的な徳とされていた「倹約」は、日本の伝統的な主徳として尊重されてきた「正直」の徳に一致すると主張した。梅岩の思想は、道の実践における万民平等と、経済と道徳の関係についての哲学的考察を説くことにより町人の代表的哲学となった。
[今井 淳 2016年4月18日]
『柴田実編『石田梅岩全集』全2巻(1972・清文堂出版)』▽『柴田実著『石田梅岩』(1962/新装版・1988・吉川弘文館)』▽『古田紹欽・今井淳編著『石田梅岩の思想』(1979・ぺりかん社)』
(石川松太郎・天野晴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
石門心学の祖。丹波の山村の出身。京の商家に奉公しながら独学で儒教を学び,のち小栗了雲に師事した。1729年(享保14)悟りを開き,無縁の町人を集めて聴講無料の講釈を始め,日本における社会教育の草分けとなった。文字になずむ学者を文字芸者とののしり,生きた学問を求め,朱子学を中心としながら,神道や仏教や老荘をも取り入れた。当時世の中で卑しめられていた商人を市井の臣とし,社会的職分遂行の上では商人も武士に劣らないと主張するとともに,商人の反省を求め,悪徳商人を非難して商業道徳の確立を説き,商取引は1対1の対等の場で自由に行われねばならぬと主張した。月に3回商家の主人たちを集めてゼミナールを開き,弟子の養成に努めた。主著《都鄙問答(とひもんどう)》はそのときの問答の抜粋である。倹約を正直の徳と結び,すべての道徳の基礎においた。《倹約斉家論》でその主旨を説いている。
執筆者:竹中 靖一
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1685.9.15~1744.9.24
江戸中期の町人思想家,石門心学の創始者。通称は勘平,梅岩は号。丹波国生れ。京都の商家に奉公しながら勉学と思索に努め,隠士小栗了雲に師事。心学の根本である人性の開悟,自身の心と世界の一体性を自覚し,45歳のとき自宅に講席を開いて教化活動を開始。朱子学に由来する用語を多く使い,勤勉・倹約・正直・孝行などの通俗倫理による人間の道徳的自己規律を説いた。商人をはじめ四民の社会的役割を指摘し,賤商観を克服し庶民の人間としての尊厳を強調するなど,社会的に成長してきた町人を主とする庶民層の意識を自覚的に思想化した。著書「都鄙(とひ)問答」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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※「石田梅岩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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