歌舞伎の舞台機構の一。舞台に向かって左手の位置に,舞台と同じ高さで,客席の後方にまっすぐ貫いてのびている通路。原則として,舞台で起こる事件に重要なかかわりをもつ人物の登・退場に用いる。花道の名称の由来については定説がないが,ただ,花の役者の通り道とか,役者が花を飾って(美しく装って)出てくる道からといった説が妥当かと思われる。歌舞伎の舞台は17世紀後半,舞台面積の拡大に伴って橋掛りも拡幅された。その結果,歌舞伎は出端(では)(登場)の芸を生かすための新しい空間を客席に求め,付け橋掛り(舞台から客席の奥へと仮設された橋掛り)や付け舞台(舞台前面に,舞台から隔てて仮設された横長の台)を設けた経験をもとに花道を設置した。花道はやがて常設されるようになり,1740年(元文5)ごろには,歌舞伎に不可欠のものとなった。上方の花道は舞台の中央寄りに,客席後方へと直線状にのび,黒い揚幕(あげまく)を通って奥の小部屋(鳥屋(とや))に通じる。江戸の花道は,舞台左端寄りの位置から客席後方へと,当初は斜めに,後にはまっすぐにのびてから左に折れ,花色地に白く座紋を染めぬいた揚幕を通って小部屋(鳥屋)をぬけ,桟敷裏の通路に通じる。これが現在のように上方風になったのは,明治に入ってからのことである。
花道の,揚幕から7分,舞台から3分(現在の劇場ではもう少し舞台寄り)の定位置を〈七三(しちさん)〉と呼び,登・退場を印象づける演技が行われる。そこには〈スッポン〉と名付けられた亡霊などの出現や消滅のための小型の〈迫り(せり)〉(昇降装置)も設けられている。なお,文化・文政期(1804-30)までは逆に舞台から7分の位置を〈七三〉と称した。また花道と平行して,その反対側に仮設されるもう一つの仮花道は,観客や中売りが通る〈東の歩み〉から発達したもので,必要に応じて仮設される。1760年(宝暦10)ごろ,演出に空間の広がりを与えるための機構として成立したものである。
→舞台
執筆者:今尾 哲也
江戸時代から使われていたいけばなの総称で,様式語としての立花(りつか),抛入(なげいれ)花などのすべてを含む。華道とも書く。芸道における〈道〉の意識の成立は中世以来のものであるが,秘伝奥儀などを習得するための修練を強調する求道的精神から歌道,茶道,香道などと等しく造語されたもの。その初見は1688年(元禄1)刊行の桑原富春軒の《立華時勢粧(りつかいまようすがた)》に,〈花道を鍛練して〉とか〈花道の奥儀〉〈花道第一の秘儀〉などとして使われ,また編者不明だが,1717年(享保2)刊の立華と生花(いけはな)の書は《華道全書》という題名がつけられている。江戸幕府の教化政策として儒教思想が重視されるようになると,当時のいけばなは道義的意味あいを強め,稽古を通じての礼儀作法を含めて修養の具としての芸事とみなされることになる。花道の語はその後今日に至るまで,いけばなの総称としてひろく使われている。
→いけばな
執筆者:工藤 昌伸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
歌舞伎(かぶき)劇場の舞台機構。舞台と同じ高さで、下手(しもて)(客席から見て左側)寄りの客席を縦断する通路をいう。単に俳優が舞台へ出入りするばかりでなく、「出端(では)」や「引込み」の芸そのほか重要な演技が多く行われ、川や空中、あるいは本舞台から遠方の場所に想定することもあって、歌舞伎の演出上の役割はきわめて大きい。
由来については、舞台の俳優に纏頭(はな)(祝儀)をひいき客から運ぶための歩み板が進化したとか、民俗芸能の花の舞の演者の通路に関係あるとか、いろいろな説があるが、いずれも根拠に乏しく、むしろ、役者を「花」に例え、その花が通る道のはなやかさを意味する命名と考えたほうが妥当であろう。貞享(じょうきょう)・元禄(げんろく)(1684~1704)ごろ、劇場の舞台面積の拡大に伴い、従来の能舞台様式に変化が生じ、橋懸(はしがか)りの機能が失われ、そのかわりに発生したもので、享保(きょうほう)(1716~36)ごろから本舞台の延長としてしだいに定着するようになった。なお、宝暦(ほうれき)(1751~64)ごろには上手(かみて)寄りの通路(東の歩み)が発達して、もう一つ花道が成立、これを「仮(かり)花道」とよび、従来の花道を「本(ほん)花道」ともいうようになった。現在の仮花道は定設ではなく、必要に応じて仮設することが多い。
別に相撲(すもう)では、土俵の四方の角に通ずる4本の通路のうち、とくに力士・行司・審判委員が土俵に向かう裏正面寄りの東西の通路を「花道」という。平安時代の相撲節会(すまいのせちえ)で、相撲人(すまいびと)が出場に際し、左近衛(このえ)所属と右近衛所属がそれぞれ葵(あおい)と夕顔の造花を髪に挿して、相撲場に入場した故事による名称といわれている。
[松井俊諭]
江戸時代から用いられたいけ花の総称。華道とも書く。いけ花は時代によって、立花、花、挿花、投入れ、生花(せいか)など多くの名称が用いられてきたが、17世紀後半から儒教的性格が強められ、精神的な修練としてのいけ花が意義づけられるようになり、「花道」の語を生んだ。「花道」という語の初見は、1688年(元禄1)刊行の『立花時勢粧(りっかいまようすがた)』のなかで、秘伝とか奥義とかいった内容を習得するための修練を強調する意味で用いられている。
[北條明直]
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華道とも。いけばなのこと。花道の言葉は「立華時勢粧(りっかいまようすがた)」(1688刊)にはじめてみられるが,道の意識は立花(たてはな)成立期の南北朝期からあり,立花の修行が仏道の悟りを開く契機とされたことに端緒がある。それが師弟関係と正統性の重視にもつながり,流派と家元制度を成立させることになる。寛政の改革を機にいけばなに儒教思想が導入されると,師弟関係も義理の論理で理解されるようになり,儒教の徳目を修するための道とされた。明治20年代には,いけばなが女性教育の目標を達成するものとして「婦道」と密接にかかわりながら展開することにより,いけばなを花道(華道)と称することが一般化した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…自然の植物を対象素材として,〈挿す〉〈立てる〉〈生ける〉などの作業によって器とともに組みたてられ,日本人の生活空間に自然と人間とをつなぐきずなとして成立し,発展をつづけてきた伝統芸術。花道と総称されたこともあったが,現在では〈いけばな〉の呼称が一般化され,国際的にもイケバナで通用している。
[いけばな成立以前]
植物としての花の生命力に神の存在を見ようとする素朴なアニミズムを基盤として,民俗学の資料などに見る依代(よりしろ)としての花が,まず日本人と植物とのあいだに成立する。…
※「花道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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