デジタル大辞泉
「荼毘」の意味・読み・例文・類語
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だび【荼毘・荼毗】
- 〘 名詞 〙 ( [梵語] jthāpeti の音訳。焚焼、焼身と訳す ) 火葬。死体を焼いてその遺骨を納める葬法をいう。闍維(じゃゆい)。だみ。
- [初出の実例]「そのひろひし時をかぞふれば荼毗のけぶり年久し」(出典:観智院本三宝絵(984)下)
- 「Dabiuo(ダビヲ)イトナム、または、スル」(出典:日葡辞書(1603‐04))
- [その他の文献]〔大般涅槃経後分‐上〕
だみ【荼毘】
- 〘 名詞 〙 =だび(荼毘)
- [初出の実例]「たみのときはひをはうしろよりつけ候也」(出典:山科家礼記‐寛正四年(1463)八月一一日)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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荼毘 (だび)
火葬のこと。火葬のために死体を焼くことをパーリ語でジャーペーティjhāpeti,サンスクリットでディヤーパヤティdhyāpayati(いずれも三人称単数形)というが,〈荼毘〉とはこのような言葉の音写と考えられている。インドでは古くから四葬(水葬,火葬,土葬,風葬)の風習があったが,その中でも火葬が最も重んじられ,正葬とされていた。釈尊の遺骸も,転輪聖王(てんりんじようおう)の葬法にならって荼毘に付されたと伝えられる。火葬は仏教とともに中国や日本にも伝えられ,僧侶を中心に行われるようになった。中国では5世紀初めに火葬の行われた記録があり,また日本では700年に道昭が荼毘に付されたのが最初とされる。火葬はその後,僧侶だけでなく王侯貴族などの間にもしだいに行われるようになっていったが,中国や日本では抵抗も大きく,一般には土葬が主流であった。しかし,のちには日本でも火葬が一般化し,しだいにこれに変わった。
→火葬
執筆者:岩松 浅夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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荼毘
だび
火葬のこと。パーリ語ジャーペーティjhāpeti(燃やす、焚(た)く)の音写。古来インドで主として仏教徒の採用した葬法で、その遺骨を尊重して祀祭(しさい)する風習がおこり、のちには仏教の伝播(でんぱ)した地域に広く行われた。教祖釈尊(しゃくそん)自身の遺骸(いがい)は荼毘に付され、その遺骨は八分されて祀(まつ)られた。日本では仏教の伝来につれて、まず僧侶(そうりょ)の火葬がなされ(700年、道昭が最初)、のちに天皇(703年、持統(じとう)帝が最初)や貴族の仏教徒の間にこれが広まり、古来の葬送墓制に変革をもたらした。
[森 祖道]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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荼毘
だび
パーリ語 jhāpetiの音写。死者を火葬にすること。梵焼などと漢訳される。日本では,文武4 (700) 年の道昭の火葬がその最初という。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の荼毘の言及
【火葬】より
…このほか,北米,中米の多くのインディアンのもとで火葬はかなり頻繁に行われていたことが知られている。【内堀 基光】
[日本の火葬]
仏教ではこの葬法を荼毘(だび)ともいう。これはパーリ語jhāpeti(dhyāpeti)の音訳である。…
※「荼毘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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