デジタル大辞泉
「藤壺」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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ふじ‐つぼふぢ‥【藤壺】
- [ 一 ] ( 「つぼ」は中庭。そこに藤が植えてあるところから ) 平安京の内裏における諸舎の一つ。飛香舎(ひぎょうしゃ)の異称。後涼殿の北、弘徽殿の西にあり、ここで女御入内の儀が行なわれ、また后、女御の御在所となった。京都御所にも、寛政年間(一七八九‐一八〇一)の内裏造営のさい復興され、安政年間(一八五四‐六〇)に再建された建物が北部中央、朔平門の南に現存する。〔二十巻本和名抄(934頃)〕
- [ 二 ] ( 「ふじつぼ(藤壺)の上の御局」の略 ) 平安京内裏で、后、女御、更衣が清涼殿内にたまわる局(部屋)の一つ。母屋(もや)の北端、萩の戸の西に位置する。
- [初出の実例]「ふぢつぼ・弘徽殿とのうへの御つぼねはほどもなくちかきに」(出典:大鏡(12C前)三)
- [ 三 ] 「源氏物語」の登場人物。先帝の第四皇女。桐壺帝の女御となり、のち、中宮となる。桐壺更衣と似ているため寵愛をうけたが、光源氏との物のまぎれにより冷泉帝を産み、生涯の心痛の種となる。桐壺帝の崩御後、東宮となった冷泉帝の安泰を願い出家。物語中の理想的人物の一人。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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藤壺
ふじつぼ
『源氏物語』中の女性。桐壺帝の中宮。先帝の女四の宮で,藤壺に住む。光源氏の亡母桐壺更衣 (こうい) に似た美貌で,輝く日の宮と呼ばれる。源氏は藤壺を慕い関係をもつようになる。帝の崩御後出家して薄雲女院と呼ばれる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の藤壺の言及
【源氏物語】より
…桐壺帝最愛の第2皇子は生母の身分が低くて臣籍に下され,美貌のゆえに〈光源氏(ひかるげんじ)〉と呼ばれて,さまざまの女性と恋の遍歴を重ねる。なかでも亡き母に似た父帝の中宮藤壺(ふじつぼ)との恋は苦しく,その間に罪の子〈冷泉帝〉が生まれる。父帝の死と共に源氏は逆境に陥り,須磨,明石にさすらうが2年後に許されて帰京する。…
【前栽】より
…建物や渡殿(わたどの)(廊下)に囲まれた坪庭(皇居では壺庭)にも最適で,ここに植えたのを坪前栽という。このため後宮の殿舎が,その壺庭に植えられた前栽の木の名から,桐壺,藤壺などと呼ばれた。また前栽の風趣を競い,これにいろいろの趣向を加え,歌をそえてあらそう[物合]の遊び〈前栽合〉も行われた。…
【飛香舎】より
…平安宮の内裏五舎(飛香,凝花,襲芳,昭陽,淑景の五舎)の一舎。〈ひこうしゃ〉〈ひぎょうさ〉ともいい,庭に藤を植えたので藤壺(ふじつぼ)とも称する。内裏の西北部で,凝花舎の南,弘徽殿(こきでん)の西に位置する。…
※「藤壺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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