観音院
かんのんいん
[現在地名]鳥取市上町
上町の南端にある。近世には立川一丁目に隣接する山裾に周囲八町余の境内を占め、その半ばは邑美郡、半ばは法美郡に属する(因州記)。補陀洛山慈眼寺と号し、天台宗。本尊は正観音。近世には乾向山大雲院(淳光院)末。寺格は藩より厚遇される八ヵ寺の一で、礼席は最勝院の次に定められていた。末寺に立川の清鏡寺、谷村(現国府町)の円城寺の二ヵ寺がある(明治四年「因州分寺院籍」県立博物館蔵)。
寛永九年(一六三二)池田光仲国替にあたり、備前岡山光珍寺の高僧専伝が供を命ぜられて鳥取に来住、城下栗谷の地に祈願所観音寺を建立した。
観音院
かんのんいん
[現在地名]岩出町宮
宮集落のほぼ中央にある。密教山と号し、新義真言宗。惣堂寺ともいう。本尊は十一面観音。享保一四年(一七二九)の岩出組寺方指出帳写(藤田家蔵)所載の岩出組惣堂寺観音縁起によれば、長承二年(一一三三)鳥羽法皇の御願により、覚鑁が根来寺(現岩出町)建立のために山城石清水八幡宮に参籠した折、八幡宮第四殿より老翁が出現、覚鑁を拝して仏教興隆に協力することを告げた。
観音院
かんのんいん
[現在地名]高取町大字上子島小字法華谷
高取山腹に位置。子島山南清水寺と号し、真言宗大覚寺派。本尊十一面観音。寺伝によると、天平宝字四年(七六〇)孝謙天皇の勅願により、僧報恩が子嶋神祠(小島神社)の傍らに寺を建て、一丈八尺の観音菩薩を安置した子嶋寺に始まるという。また所在地法華谷を「ハフキ谷」のなまったものとみて、「日本霊異記」の法器山寺とする説もある(日本霊異記攷証)。現本堂は大永三年(一五二三)再建。
観音院
かんのんいん
橋本川河口の倉江との境、玉江浦に接する台地にある。潮音山と号し臨済宗建仁寺派。本尊は釈迦如来。
古くは玉井観音寺とよばれた。寺伝によれば、不見別当が大同年間(八〇六―八一〇)創建、永禄四年(一五六一)一伝得公座(「注進案」では天文年中、一伝祖得)が再建したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報