金糸を絵緯(えぬき)として文様を織り出した織物。中国では〈織金(しよくきん)〉という。織造期は宋代とされ,日本には鎌倉時代のころ入宋の禅僧が伝法のしるしとした袈裟の裂,あるいは書画などの付属品として持ち帰った。室町時代には朝貢の返礼として,また交易品として盛んに舶載されるようになり,それらのうちで茶道の仕覆(しふく)や軸物の表装などに用いられたものが〈名物裂〉として珍重され,今日に伝えられている。金襴の名称の起りは判然としないが,元代の《事林歴記》官民服飾の条に〈四品五品金袖襴〉とあり,これが袖と襴(衣の裾につく襞)に金文のある衣服と解釈されることから,襴に金文のある〈金襴衣〉の名が日本で転じて織物の名称として用いられるようになったと思われる。これらの金襴に使われる金糸は,ほとんどが平金糸(平箔糸)で,撚金糸はまれである。地合は平地,綾地,繻子地のものがあり,金糸の織入れ方も地緯一越おきに入れた全越(まるこし),地緯2本ごとに金糸を入れた半越,また金糸の押さえを地絡(じがらみ)としたもの,別に絡み経を仕たてて別絡(べつがらみ)としたものなどがある。一般には綾地に金糸全越・地絡としたものに古様な作風を示すものが多く,これに対し繻子地に金糸半越・別絡としたものは明代中期以降の華やかな金襴に多く見られる。日本で金襴が織り始められた時期は明らかでないが,《耶蘇会士日本通信》の1565年(永禄8)4月27日付のルイス・フロイスの書簡中には〈パードレは当地方産の金襴の祭服を着けてミサを始めた〉とあり,16世紀中葉には京都で,金糸を使った織物が製織されていたことになる。以後桃山・江戸時代を経て現代に至るまで金襴は京都西陣の独占となり,西陣織は袈裟地,表装裂,能装束,帯地などを製織し続けてきた。
執筆者:小笠原 小枝
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…また留学した禅僧たちが伝法印可のしるしとして師僧から授けられた伝法衣も,京都や鎌倉の禅の名刹に現存している。このように,いろいろな機会に舶載された唐綾,唐錦,金襴,緞子,印金,羅,紗,繻子,北絹などの裂類は貴顕の人々に珍重愛好され,また多くの人々の染織に対する視野をひろめ,ひいては日本の染織に刺激を与え,その発達に大いに役立ったのである。名物裂
[近世初期]
中世末期から近世初期に隆盛した機業地は,京都のほか山口と博多と堺とがあった。…
… 宋代になると,中国の絹織物も貴族中心から庶民,とくに都市民を対象とするものに変わり,その生産地もいっそう広くなっていった。織金(金襴),緞子の創始はこのころからと考えられている。また前代の綴織の技術を発展させ,絵画的な表現効果を可能にした緯糸や,平繡(ひらぬい)を主体とした繊細巧緻な刺繡技術が発達したのも,この時代からである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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