黒岩重吾(読み)クロイワジュウゴ

デジタル大辞泉 「黒岩重吾」の意味・読み・例文・類語

くろいわ‐じゅうご〔くろいはヂュウゴ〕【黒岩重吾】

[1924~2003]小説家大阪の生まれ。社会派推理小説第一人者として活躍し、後年は日本古代史を題材とした歴史小説の新分野を切り開いた。「背徳のメス」で直木賞受賞。他に「休日の断崖」「天の川の太陽」「落日の王子」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒岩重吾」の意味・わかりやすい解説

黒岩重吾
くろいわじゅうご
(1924―2003)

小説家。大阪生まれ。同志社大学卒業後、証券会社などさまざまな職業を転々とする。1958年(昭和33)から小説の発表を始め、大阪釜ヶ崎(かまがさき)近くの病院を舞台に、吹きだまりの社会と悪徳医師を描く社会派推理小説背徳メス』によって61年に直木賞を受賞。男女の濃厚な愛欲と陰湿な社会的背景を推理小説的な手法で巧みに描くところに特色があり、『腐った太陽』『脂のしたたり』『真昼の罠(わな)』(以上いずれも1961)などがある。60年代後半からは作品にミステリー色が薄れ、風俗小説的な色合いが濃くなり、75年には自伝的長編『我が炎死なず』を、77年には大河小説『さらば星座』(全9冊、~89)を発表した。78年からは日本古代史に意欲を燃やし、古代の英雄を主人公とする長編を次々に執筆、壬申(じんしん)の乱を描く『天の川の太陽』(1979)で、80年に吉川英治文学賞を受賞。この分野のおもな作品に、蘇我入鹿(そがのいるか)を描いた『落日王子』(1982)、『聖徳太子 日と影の王子』(1987)、『白鳥の王子ヤマトタケル』(1990)、『女龍王神功(じんぐう)皇后』(1999)、続いて5世紀なかばに中央集権国家の形成を目ざした雄略(ゆうりゃく)天皇の実像に迫った『ワカタケル大王』(2002)がある。史料と文献が乏しい古代史のなかで、古代史ロマンともいうべき歴史小説の新分野を開拓した功績により、1992年(平成4)に菊池寛(かん)賞を受賞した。

[厚木 淳]

『『黒岩重吾長編小説全集』全20巻(1976~78)』『『天の川の太陽』上下(1979・中央公論社)』『『落日の王子――蘇我入鹿』(1982・文芸春秋)』『『黒岩重吾全集』全30巻(1982~85・中央公論社)』『『聖徳太子――日と影の王子』上下(1987・文芸春秋)』『『白鳥の王子ヤマトタケル――大和の巻』『白鳥の王子ヤマトタケル――西戦の巻』上下『孤影立つ――白鳥の王子ヤマトタケル:終焉の巻』(1990、1994、2000・角川書店)』『『ワカタケル大王』(2002・文芸春秋)』『尾崎秀樹著『黒岩重吾の世界』(1980・泰流社)』

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20世紀日本人名事典 「黒岩重吾」の解説

黒岩 重吾
クロイワ ジュウゴ

昭和・平成期の小説家



生年
大正13(1924)年2月25日

没年
平成15(2003)年3月7日

出生地
大阪府大阪市此花区安治川通

学歴〔年〕
同志社大学法学部〔昭和22年〕卒

主な受賞名〔年〕
サンデー毎日大衆文芸賞(第54回)〔昭和33年〕「ネオンと三角帽子」,直木賞(第44回 昭35年下期)〔昭和36年〕「背徳のメス」,小説現代ゴールデン読者賞(第9回)〔昭和49年〕「小学生浪人」,吉川英治文学賞(第14回)〔昭和55年〕「天の川の太陽」,紫綬褒章〔平成3年〕,菊池寛賞(第40回)〔平成4年〕

経歴
昭和19年大学在学中に学徒出陣、ソ連・満州国境で終戦を迎える。この逃避行と、戦後、急性小児麻痺で3年間療養生活を送ったことが文学の原点となる。職を転々としながら社会の底辺をさまよい、35年司馬遼太郎らの同人誌「近代説話」に参加。同年処女出版の「休日の断崖」が直木賞候補となり、36年釜ケ崎の診療所を舞台とした「背徳のメス」で第44回直木賞受賞。以後、社会派推理小説、風俗小説を次々に発表。また、「裸の背徳者」「人間の宿舎」「カオスの星屑」といった自伝的作品で注目を集めた。50年代に入ってから古代史小説で新境地を開き、55年壬申の乱を描いた「天の川の太陽」で吉川英治文学賞受賞。他に「紅蓮の女王」(推古天皇)「落日の王子」(蘇我入鹿)「日と影の王子」(聖徳太子)「天翔る白日」(大津皇子)など、奈良時代以前の人物を主人公とした古代史小説を数多く発表し、第一人者として知られた。最高で月産500枚のペースで発表し、死の直前まで第一線の流行作家として活躍。一貫して深く人間を見つめ、厳しく温かな目で人間ドラマを紡ぎ、“日本のバルザック”とも呼ばれた。他の著書に戦災孤児をテーマとした大河小説「さらば星座」や、「黒岩重吾全集」(全30巻 中央公論社)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「黒岩重吾」の意味・わかりやすい解説

黒岩重吾【くろいわじゅうご】

小説家。大阪市生れ。同志社大卒。在学中に応召し,敗戦時ソ満国境で荒野をさまよう。帰国後,急性小児麻痺で3年間闘病生活を送る。その後いくつかの職業を経た後,1960年《背徳のメス》で第44回直木賞受賞。社会派推理小説の作家として活躍する。代表作に,自伝的小説である《裸の背徳者》(1965年),《天の川の太陽》(1979年)などの古代史物,大河小説《さらば星座》(1975年―1989年)などがある。
→関連項目永井路子

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒岩重吾」の意味・わかりやすい解説

黒岩重吾
くろいわじゅうご

[生]1924.2.25. 大阪
[没]2003.3.7. 西宮
小説家。同志社大学に学び,在学中,学徒動員で出征,ソ満国境で敗戦を迎えた。さまざまな職業を転々としたのち,同人誌『近代説話』に参加,『背徳のメス』 (1960) で直木賞を受け,作家として認められた。『腐った太陽』 (1961) ,『裸の背徳者』 (1965) など現代風俗の種々相をからめた社会悪の描出に特色がある。また,『天の川の太陽』 (1980,吉川英治文学賞) 以降,古代史への関心を示し,『落日の王子-蘇我入鹿』 (1982) ,『聖徳太子』上下 (1987) を発表した。 1991年紫綬褒章を受章,1992年菊池寛賞を受章した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒岩重吾」の解説

黒岩重吾 くろいわ-じゅうご

1924-2003 昭和後期-平成時代の小説家。
大正13年2月25日生まれ。学徒出陣し,満州(中国東北部)で敗戦をむかえ,逃避行のすえ帰国。さまざまな職業を経験し「近代説話」に参加。昭和36年「背徳のメス」で直木賞。社会派推理作家として活躍。55年日本古代史に取材した「天の川の太陽」で吉川英治文学賞。平成4年菊池寛賞。平成15年3月7日死去。79歳。大阪出身。同志社大卒。作品はほかに「紅蓮の女王」「日と影の王子」など。

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367日誕生日大事典 「黒岩重吾」の解説

黒岩 重吾 (くろいわ じゅうご)

生年月日:1924年2月25日
昭和時代;平成時代の小説家
2003年没

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