黒田長政(読み)クロダナガマサ

デジタル大辞泉 「黒田長政」の意味・読み・例文・類語

くろだ‐ながまさ【黒田長政】

[1568~1623]安土桃山から江戸初期の武将。孝高よしたかの子。豊臣秀吉に従い、九州平定、文禄の役慶長の役に活躍。秀吉死後、関ヶ原の戦いでは徳川方につき、大功を立てて筑前52万石を拝領。

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精選版 日本国語大辞典 「黒田長政」の意味・読み・例文・類語

くろだ‐ながまさ【黒田長政】

  1. 安土桃山・江戸初期の武将。福岡城主。孝高の子。吉兵衛と称する。姫路の人。豊臣秀吉に仕え、九州征伐、文祿・慶長の役に出陣関ケ原の戦いでは徳川方に属して功をたて、筑前五二万三千石を領する。法名興院古心道卜。永祿一一~元和九年(一五六八‐一六二三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒田長政」の意味・わかりやすい解説

黒田長政
くろだながまさ
(1568―1623)

安土(あづち)桃山時代の武将。筑前(ちくぜん)国福岡藩主。孝高(よしたか)の子。永禄(えいろく)11年12月3日、播磨(はりま)国飾東(しきとう)郡姫路に生まれる。1577年(天正5)10歳のとき父孝高が織田信長に属したため人質として信長のもとに送られ、豊臣(とよとみ)秀吉に預けられた。82年初めて秀吉の中国攻略に従軍。九州平定後は豊前(ぶぜん)(大分県中津に移り、89年孝高の所領を継ぎ従(じゅ)五位下甲斐守(かいのかみ)に叙任された。文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役にも従軍。石田三成(みつなり)とは朝鮮在陣中から不仲となっていたが、秀吉没後は徳川家康に従い、関ヶ原の戦いに際しては小早川秀秋(こばやかわひであき)を東軍に寝返らせるなど東軍の勝利に大きく貢献、その功によって筑前(ちくぜん)一国(福岡県)を与えられた。初め粕屋(かすや)郡名島に入ったが、那珂(なか)郡警固(けご)村福崎に城を築いてここに移り、祖先発祥の地(備前(びぜん)福岡)にちなんで福岡と名づけた。1623年(元和9)将軍徳川秀忠(ひでただ)の上京に先だって京都に上ったが、8月4日報恩寺で没した。博多(はかた)松原福岡市)の崇福寺に葬る。

[柴多一雄]


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朝日日本歴史人物事典 「黒田長政」の解説

黒田長政

没年:元和9.8.4(1623.8.29)
生年:永禄11.12.3(1568.12.21)
安土桃山・江戸前期の武将。黒田孝高の長男。母は櫛橋伊定の娘。幼名を松寿,通称を吉兵衛といった。天正5(1577)年,父孝高が織田信長に属したため人質として信長のもとに送られ,近江長浜城の羽柴秀吉のもとで少年期をすごした。同10年,秀吉の中国攻めに従軍したのが初陣で,以後,秀吉の主な戦いに従っている。翌年の賤ケ岳の戦のあと,戦功によって河内国丹北郡で450石をあてがわれ,同12年の小牧長久手の戦のときには和泉の岸和田城に拠って,根来・雑賀一揆を撃退した功により2000石の加増を受けている。同15年の九州攻めの功によって豊前国に移り,同17年,父孝高から家督を継いで豊前中津に12万石の所領を得,従五位下・甲斐守に叙任された。文禄の役,慶長の役,ともに渡海し,碧蹄館の戦,蔚山城の戦で戦功をあげている。石田三成とは折り合いが悪く,秀吉死後は徳川家康に接近し,家康の養女栄姫(保科正直の娘)を継室に迎えていた。慶長5(1600)年の関ケ原の戦においては東軍に属し,特に小早川秀秋の内応工作に成果をあげ,それらの功によって筑前一国52万3000余石を与えられ福岡城を築いた。同8年,家康の参内拝賀に供奉し,そのとき従四位下・筑前守に叙任。同19年の大坂冬の陣には江戸城に留められたが,翌元和1(1615)年の夏の陣のときには徳川秀忠隊に属して出陣した。

(小和田哲男)

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百科事典マイペディア 「黒田長政」の意味・わかりやすい解説

黒田長政【くろだながまさ】

安土桃山時代の武将。如水の長男。幼少の時,織田信長の人質として育ち,のち豊臣秀吉のもとで父とともに中国征伐,賤ヶ岳の戦,九州征伐などで戦功をたて,豊前(ぶぜん)中津城主に封ぜられた。文禄・慶長の役にも活躍。関ヶ原の戦で徳川方に属し,筑前(ちくぜん)福岡城主となり,50万余石を領し,福岡藩の基礎を築いた。→黒田如水
→関連項目栗山大膳黒田氏博多人形福岡藩竜光院

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改訂新版 世界大百科事典 「黒田長政」の意味・わかりやすい解説

黒田長政 (くろだながまさ)
生没年:1568-1623(永禄11-元和9)

近世初期の武将。孝高(よしたか)の子。幼少より人質として豊臣(羽柴)秀吉のもとにあり,1582年(天正10)中国経略に初陣して以後,九州征伐,朝鮮出兵等の諸戦役で勇将の名をはせた。89年,父の所領豊前6郡を譲られ,従五位下甲斐守に叙位された。関ヶ原の戦では,父とともに徳川家康にくみし,その功で筑前52万3000石を領した。1623年,将軍秀忠の上洛に先立ち上京し,京都の宿所で病死。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒田長政」の意味・わかりやすい解説

黒田長政
くろだながまさ

[生]永禄11(1568).姫路
[没]元和9(1623).8.4. 京都
安土桃山時代の武将。福岡 (黒田) 藩主。孝高 (如水) の子。幼名松寿。父が豊臣秀吉に仕えたので幼くして織田信長に人質として送られ,その後秀吉に預けられた。天正 10 (1582) 年,秀吉の中国征伐に従軍。賤ヶ岳の戦いで活躍。九州征伐後,同 17年孝高の跡を継いで豊前6郡を領し,従五位下甲斐守に叙任。文禄1 (92) 年,朝鮮出兵に従い,大友義統とともに朝鮮に渡って奮戦。秀吉没後は父とともに石田三成に反対し,関ヶ原の戦い (1600) には徳川方に味方して筑前国 52万 3000石を与えられ,福岡を居城とした。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「黒田長政」の解説

黒田長政
くろだながまさ

1568.12.3~1623.8.4

織豊期~江戸初期の大名。孝高(よしたか)の子。松寿・吉兵衛。甲斐守・筑前守。洗礼名ダミアン。1577年(天正5)父の人質として織田信長に差し出され,豊臣秀吉に預けられた。87年から秀吉の全国統一に従って転戦し,89年父の隠居により豊前国6郡ほかを襲封。文禄・慶長の役に出陣。1600年(慶長5)徳川家康の会津出兵に先鋒,関ケ原の戦では小早川秀秋の内応を画策し,筑前国50万石余を得て城地を福岡と名づけた。父の死後,棄教した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒田長政」の解説

黒田長政 くろだ-ながまさ

1568-1623 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
永禄(えいろく)11年12月3日生まれ。黒田孝高(よしたか)の長男。豊臣秀吉につかえ,賤ケ岳(しずがたけ)の戦い,朝鮮出兵などに従軍。関ケ原の戦いでは徳川家康に味方し,慶長5年筑前福岡藩主黒田家初代となる。52万石。元和(げんな)9年8月4日死去。56歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。通称は吉兵衛。

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旺文社日本史事典 三訂版 「黒田長政」の解説

黒田長政
くろだながまさ

1568〜1623
安土桃山〜江戸時代初期の武将
孝高 (よしたか) の子。豊臣秀吉に仕え朝鮮出兵で活躍。関ケ原の戦い(1600)で東軍に属し,小早川秀秋の内応を画策。戦後,豊前(大分県)中津12万石から筑前福岡52万石に封じられ,福岡藩の祖となった。

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367日誕生日大事典 「黒田長政」の解説

黒田長政 (くろだながまさ)

生年月日:1568年12月3日
安土桃山時代;江戸時代前期の武将;大名
1623年没

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世界大百科事典(旧版)内の黒田長政の言及

【福岡[市]】より

…戦国時代,兵火で町は焼失し,1587年(天正15)に豊臣秀吉が町割りを行い復興した。1600年(慶長5)に入部した黒田長政が福崎に城を築き,その城下を黒田氏ゆかりの備前国邑久(おく)郡福岡にちなんで福岡と命名した。市街の中央を流れる那珂川右岸の商人町博多と,左岸の52万石の城下町福岡が合体して福岡市となったが,駅名,港名も博多で,博多織,博多人形,博多どんたくなど〈博多〉を冠したものが多い。…

【福岡藩】より

…98年(慶長3)秀秋が越前国北ノ庄に移され,筑前は豊臣秀吉の直轄領(太閤蔵入地)となったが,99年には再び秀秋が復帰した。関ヶ原の戦(1600)の後,秀秋の岡山移封のあとをうけて豊前国中津の黒田長政が怡土(いと)郡の西半分を除くほぼ筑前一国を与えられて入部した。 長政は名島城を廃し新しい城地を博多の西隣,那珂郡警固(けご)村の内に定め,福岡と名づけた。…

※「黒田長政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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