「アッバース」の検索結果

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アグラブ朝 (アグラブちょう) Aghlab

改訂新版 世界大百科事典
北アフリカ,イフリーキーヤのアラブが土着のベルベル人を支配して建てたスンナ派の王朝。800-909年。首都はカイラワーン。ホラーサーン出身の軍人ア…

バリード barīd

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イスラム国家の駅逓・通信制度。最初はビザンチン帝国およびササン朝ペルシア帝国の駅逓制度の模倣であったが,ウマイヤ朝のカリフ,アブドゥル・マ…

バスラ Basra

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アラビア語では Al-Basrah。イラク南東部,同名県の県都で,同国南部では最大の都市。ペルシア湾河口から約 110km,内陸のシャットルアラブ川右岸に…

クテシフォン Ktēsiphōn

改訂新版 世界大百科事典
ティグリス川東岸にあったパルティアおよびササン朝ペルシア時代の都市。前2世紀後半,パルティアのメソポタミア進出にともない,セレウキアの対岸の…

ムイッズ・アッダウラ Mu`izz al-Dawla 生没年:?-967

改訂新版 世界大百科事典
ブワイフ朝のイラク,ケルマーンを支配した最初の君主(在位,イラク945-967,ケルマーン936-949)。同朝を創設したダイラム人の3兄弟の末弟にあたる…

ラッカ Raqqa

改訂新版 世界大百科事典
シリア北部,ユーフラテス川東岸の都市。人口約3万5000。ギリシア名はニケフォリオンNikēphorion,のちセレウコス2世の名にちなみカリニコスKallinik…

マーワルディー まーわるでぃー al-Māwardī (974―1058)

日本大百科全書(ニッポニカ)
イスラムの法学者。イランのマーワルドに生まれる。スンニー派の法学者で、シャーフィイー学派に属する。アッバース朝カリフの支配力が弱まり、各地…

セリム(1世) せりむ Selim Ⅰ (1470―1520)

日本大百科全書(ニッポニカ)
オスマン帝国第9代のスルタン(在位1512~20)。第8代のバヤジト2世の息子で、王子の時代はトラブゾン州の軍政官。2人の兄王子と王座を争い、イェニ…

ハラージュ kharāj

旺文社世界史事典 三訂版
イスラーム法に定められた地租初めはイスラーム教徒支配下の異教徒の貢ぎ物(金納または物納)を意味したが,ウマイヤ朝後半の8世紀以後は,ジズヤ…

ジール朝 ジールちょう Zīr

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ベルベル族が北アフリカに建てたイスラム王朝 (972~1148) 。ザイリー朝とも呼ばれる。首都はカイラワーン。サンハージャ・ベルベル族のユースフ・ブ…

クーファ くーふぁ Kūfa

日本大百科全書(ニッポニカ)
イラク中部、カルバラー州にある町。アラビア語で「円い砂丘」を意味する。639年、第2代カリフであるウマル1世の命によりイラク総督サード・ブン・ア…

ハフス朝 ハフスちょう Ḥafṣ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
北アフリカ,チュニジアのイスラム王朝 (1228~1574) 。ムワッヒド朝をつくった宗教運動であるムワッヒドゥーン運動の指導者の一人,アブー・ハフス …

サーマーン朝(サーマーンちょう) Sāmān

山川 世界史小辞典 改訂新版
875~999中央アジアのイラン系王朝。8世紀前半にイスラームを受容した地主層出身のサーマーン・フダーを祖とし,一族のナスルが875年にアッバース朝…

シュウービーヤ運動 しゅうーびーやうんどう al-Shu‘ūbīya

日本大百科全書(ニッポニカ)
8世紀中ごろからイスラム世界に起こった思想運動で、とくに文学者たちの間で活発であった。アッバース朝第2代カリフ、マンスール(在位754~775)の…

イフワーン・アッサファー Ikhwān al-Ṣafā'[アラビア]

改訂新版 世界大百科事典
〈純粋な兄弟たち〉を意味し,イスマーイール派の宗教的政治秘密結社。その成立年代は明らかではないが,10世紀にイラクのバスラを本拠として活躍し…

フォンテンブロー‐は【フォンテンブロー派】

精選版 日本国語大辞典
〘 名詞 〙① 一五三〇~六〇年頃、フランスのフランソワ一世の宮廷で、マニエリスム風絵画を創始したロッソ=フィオレンティーノ、プリマティッチョ、…

ウマイヤ朝【ウマイヤちょう】

百科事典マイペディア
オンマヤ朝とも。アラブによる初期イスラム王朝。前ウマイヤ朝(661年―750年)とその後身である後ウマイヤ朝(756年―1031年)の総称としても使われる…

アッバース・ミールザー `Abbās Mīrzā, Nā'ib al-Salṭanah

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1789[没]1833. マシュハドイラン,カージャール朝の皇太子。近代ヨーロッパ軍事技術をイランに導入した。アゼルバイジャン州知事 (在任 1798~99…

アダナ Adana

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
トルコ南部,キリキア平原の奥部に位置する都市。同名県の県都。国内第4位の大都市。前 1400年にはアタニヤと呼ばれたヒッタイトの植民都市であった…

バーバクの乱 (バーバクのらん)

改訂新版 世界大百科事典
アゼルバイジャンのホッラム教徒の指導者バーバクBābak(?-838)が起こした反乱(816-837)。バーバクはマダーイン(クテシフォン)の人で,アゼルバ…

ブワイフ朝 ぶわいふちょう Buwayh

日本大百科全書(ニッポニカ)
イラン・イラクを支配したイラン系王朝(932~1062)。ダイラム地方(カスピ海西岸の山岳地帯の古名)出身の、ブワイフ家の三兄弟は、ズィヤール朝に…

サッファール朝 さっふぁーるちょう affār

日本大百科全書(ニッポニカ)
イラン南東部のシースターン地方を中心にしたイラン系王朝(867ころ~1495ころ)。銅細工師(サッファール)出身のヤークーブ・ブン・ライスが創設したの…

イラク al-‘Irāq

山川 世界史小辞典 改訂新版
ティグリス,ユーフラテス両川下流域のメソポタミアを中心とする地域。狭義には現在のイラク共和国をさす。メソポタミア文明の中心地。紀元前3000年…

イラク Irāq

旺文社世界史事典 三訂版
ティグリス・ユーフラテス両川下流域のメソポタミア地方にある共和国。首都バグダード【古代〜近代】紀元前3000年代からシュメール・アッカド・古バ…

ブハラ・ハーン国【ブハラハーンこく】

百科事典マイペディア
西トルキスタンのブハラを都としてウズベク族が建てたスンナ派イスラム国家(1500年―1868年存続)。ティムール朝の衰退に乗じ1500年ウズベク族のシャ…

ブワイフ朝 (ブワイフちょう) Buwayh

改訂新版 世界大百科事典
イラン,イラクを支配したイラン系のシーア派王朝。932-1062年。ダイラム人の族長ブワイフの3人の息子は,ジヤール朝のマルダーウィージュに仕えて勢…

ウマイヤ朝 ウマイヤちょう Umayya

旺文社世界史事典 三訂版
ムアーウィアが開いたイスラーム王朝(661〜750)クライシュ部族の名門ウマイヤ家のムアーウィアが第4代正統カリフのアリーの死後カリフ権を奪って…

アッバ Abba, Giuseppe Cesare

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1838.10.6. サボナ[没]1910.11.6. ブレッシャイタリアの詩人,小説家。リソルジメント (国家統一運動) に参加し,その経験を書いた愛国主義的作…

ホッラム教 (ホッラムきょう) Khurram

改訂新版 世界大百科事典
マズダク教と過激シーア派思想との混交によって生じたイランの反アラブ・反政府的性格の強い異端の宗教。アラビア語史料はホッラミーヤKhurramīyaま…

フトゥッワ futuwwa

改訂新版 世界大百科事典
元来は〈若者らしさ〉〈寛大さ〉を意味するアラビア語で,ムルッワ(男らしさ)の対概念として東方イスラム世界に広く用いられた。10世紀以後になる…

あっばーすまふむーどあるあっかーど【アッバース・マフムード・アルアッカード】

改訂新版 世界大百科事典

トグルル・ベグ Tughril Beg; Toghrïl Bag

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]990頃[没]1063イラン,セルジューク朝の創始者 (在位 1037~63) 。シルダリア下流域に移住したオグズ族の族長セルジュークの孫。 1016年頃兄弟の…

サラセン‐ていこく【サラセン帝国】

精選版 日本国語大辞典
七世紀中頃から一三世紀中頃にかけて、西アジア、北アフリカ、南ヨーロッパの広大な地域を支配したイスラム教徒(サラセン人)の諸帝国。元首はムハ…

タフターウィー al-Taḥtāwī, Rifā`ah Bek Rāfi`

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1801. タフタ[没]1873. カイロエジプトの学者。エジプト近代化の功労者。上エジプトのタフタの旧家に生まれ,1817年アズハル大学に入って勉学。 …

ホスロー(1世) ほすろー Khosrow Ⅰ (?―579)

日本大百科全書(ニッポニカ)
ササン朝ペルシア第21代の王(在位531~579)。不死霊王、正義王とよばれる。貧農の娘を母とし、兄弟を殺して登位したと伝えられる。一種の共産制を…

ムフタシブ muḥtasib [アラビア]

改訂新版 世界大百科事典
市場監督官を意味することば。アッバース朝時代には,カリフやワジール(宰相)によって任命された。本来の職務はイスラム法の諸規定が守られている…

イラク史 イラクし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
前 7000年頃,チグリス・ユーフラテス川の流域,メソポタミアの丘陵地帯に世界最古の文明が発祥し,前 3000年代にはシュメール人,アッカド人が灌漑…

マフムード まふむーど Mamūd (971―1030)

日本大百科全書(ニッポニカ)
アフガニスタン、ガズナ朝の最盛期の君主(在位998~1030)。父サブクティギーンの死後、弟イスマーイールを倒して権力を握った。自らスルタンと号し…

ムスタファー・カーミル

百科事典マイペディア
エジプトの民族主義者。1891年カイロの法律学校を卒業してパリに遊学。帰国後,アフマド・アラービー大佐の指導した外国支配の排除をめざすアラービ…

カルマト派 カルマトは Qarmat

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イスラム教シーア派の一分派の名称。9~12世紀にアッバース朝カリフ制に対抗して,各地で運動を起した。ファーティマ朝 (909~1171) の勃興もこの派…

ジャーヒズ al-Jāḥiẓ, Abū `Uthmān `Amr ibn Baḥr al-Kinānī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]776頃.バスラ[没]868/869. バスラアラブの文学者,思想家。アッバース朝のカリフ,マームーン以後のバグダードやサーマッラーで長年暮らした。ア…

イスファハン Isfahān

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イラン中央の古都で,イスファハン州の州都。テヘランの南約 340km,ザグロス山脈東麓の標高 1590mの高地にある。テヘランからシーラーズにいたる南…

アダナ あだな Adana

日本大百科全書(ニッポニカ)
トルコの小アジア半島南東部にある都市。アダナ県の県都。セイハン川、ジェイハン川のつくった肥沃(ひよく)な三角州、チュクルオバ平原に位置する。…

ハワーリジ派 ハワーリジは Khawārij

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イスラム教の最も古い一分派。単数形でハーリジー派とも呼ばれる。第4代カリフ,アリー (在位 656~661) が敵対していたウマイヤ家のムアーウィヤ (→…

ワジール wazīr[アラビア]

改訂新版 世界大百科事典
イスラム諸国で行政の最高責任者を表す語で,通常〈宰相〉と訳され,現在では転じて〈大臣〉を指す。旧説では中世ペルシア語vishirの派生語で,ササ…

サッファール朝 (サッファールちょう) Ṣaffār

改訂新版 世界大百科事典
イラン南東部のシースターン地方を中心にしたイラン系王朝。867-1495年ころ。銅細工師(サッファール)出身のヤークーブ・ブン・ライスYa`qūb b.Layt…

高仙芝 こうせんし (?―755)

日本大百科全書(ニッポニカ)
中国、盛唐の武将。唐に降(くだ)った高句麗(こうくり)人の後裔(こうえい)で、父の代から唐の西辺で軍務に従った。開元(713~741)末年、安西(あんせ…

フワーリズミー al-Khwārizmī, Muḥammad ibn Mūsā

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]780頃.バグダード[没]850頃.アラビアの数学者,天文学者。その生涯について詳しいことはわかっていない。アッバース朝のカリフ,マームーンの宮…

バイバルス[1世] Baybars Ⅰ 生没年:1228ころ-77

改訂新版 世界大百科事典
マムルーク朝の第5代スルタン。在位1260-77年。キプチャク生れのトルコ人で,モンゴル軍の捕虜となってシリアへ売られ,次いでアイユーブ朝のスルタ…

カールーン[川] Rūd-e Kārūn

改訂新版 世界大百科事典
イラン南西部を流れる川。ザーグロス山脈中央部のザルデ・クーフ山に源を発し,フージスターンの平原を蛇行して流れながらホラムシャフルでシャット…

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