まつなが‐ひさひで【松永久秀】
- 精選版 日本国語大辞典
- 室町後期の武将。三好長慶に仕え、大和の筒井順慶らを抑えて奈良に多聞城を築き、長慶の子義興を毒殺、長慶死後、権勢の座についた。三好三人衆とと…
六角征伐【ろっかくせいばつ】
- 百科事典マイペディア
- 室町幕府将軍の足利義尚(よしひさ)と足利義材(よしき)(義稙(よしたね))が行った近江国守護の六角高頼(たかより)に対する討伐戦。〈長享・延徳(ちょ…
高宮保・高宮庄たかみやほ・たかみやのしよう
- 日本歴史地名大系
- 滋賀県:彦根市旧犬上郡地区高宮村高宮保・高宮庄古代の犬上(いぬかみ)郡高宮郷(和名抄)に成立した庄園で、現高宮町が遺称地。寛喜三年(一二三…
宮河庄みやかわのしよう
- 日本歴史地名大系
- 富山県:婦負郡宮河庄婦負郡・新川(にいかわ)郡にあった徳大寺家領の庄園。近世の婦負郡宮川(みやかわ)郷一三村(現婦中町)・新川郡宮川郷二七…
栗作庄くりつくりのしよう
- 日本歴史地名大系
- 兵庫県:氷上郡山南町栗作庄篠山川流域に展開したと考えられる庄園。古代栗作郷(和名抄)を継承する。鎌倉時代は「栗作保」とよばれ、内侍所御殿に…
黒岡村くろおかむら
- 日本歴史地名大系
- 兵庫県:篠山市旧篠山町地区黒岡村[現]篠山市黒岡筋山(すじやま)篠山城下の北東、郡家(ぐんげ)村の東に位置する。中世からみえる地名。〔中世…
畠山基国
- 朝日日本歴史人物事典
- 没年:応永13.1.17(1406.2.5) 生年:観応2/正平6(1351) 室町時代の武将。父は義深。室町幕府管領,右衛門佐。幕閣内での細川・斯波両氏の争いのなか,…
常称寺じようしようじ
- 日本歴史地名大系
- 大阪府:守口市世木村常称寺[現]守口市高瀬町二丁目浄土宗、山号高瀬山、本尊阿弥陀如来。元和四年(一六一八)当寺の珠阿弥の記した常称寺縁起(…
河口庄かわぐちのしよう
- 日本歴史地名大系
- 京都府:福知山市河口庄古代の川口郷(和名抄)に成立したと考えられ、由良川の支流牧(まき)川の河口付近に比定される。立荘の時期は不明だが、平…
喜連川国朝 (きつれがわ-くにとも)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- 1572-1593 織豊時代の武将。元亀(げんき)3年生まれ。小弓(おゆみ)御所足利義明の孫。足利頼純(よりずみ)の長男。下野(しもつけ)(栃木県)喜連川藩主…
永享の乱 えいきょうのらん
- 旺文社日本史事典 三訂版
- 1438(永享10)年,鎌倉公方足利持氏が将軍足利義教と対立して起こした事件(〜'39)持氏は将軍足利義持の死後,将軍職を望んだが,義教 (よしのり) …
高津村たかづむら
- 日本歴史地名大系
- 福岡県:北九州市(旧筑前域)若松区高津村現若松区南西部の高須(たかす)地区に比定される。永享六年(一四三四)六月二五日の足利義教袖判御教書…
あしかが‐しげうじ〔‐しげうぢ〕【足利成氏】
- デジタル大辞泉
- [1434~1497]室町中期の武将。鎌倉公方くぼうとなり、享徳3年(1454)管領上杉憲忠うえすぎのりただを殺して幕府と対立。翌年下総しもうさ古河こが…
あしかが‐ただよし【足利直義】
- デジタル大辞泉
- [1306~1352]南北朝時代の武将。尊氏の弟。尊氏とともに建武の中興に参加したが、のちに不和となり、毒殺された。錦小路殿。
あしかが‐もとうじ〔‐もとうぢ〕【足利基氏】
- デジタル大辞泉
- [1340~1367]南北朝時代の武将。尊氏の子。初代の鎌倉公方くぼうとなり、東国に室町幕府の勢力を確立した。
足利銀行
- 日本の企業がわかる事典2014-2015
- 正式社名「株式会社足利銀行」。通称「あしぎん」。英文社名「THE ASHIKAGA BANK, LTD.」。銀行業。明治28年(1895)設立。本店は宇都宮市桜。足利ホー…
足利氏満 (あしかがうじみつ) 生没年:1359-98(正平14・延文4-応永5)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 南北朝時代の武将。足利基氏の子。鎌倉公方(くぼう)2代。幼名は金王丸。1369年(正平24・応安2)元服,将軍義満の偏諱(へんき)を受けて氏満と称…
足利織物 (あしかがおりもの)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 関東各地の織物産出は《続日本紀》によって奈良朝以前までさかのぼりうるが,栃木県の足利が織物産地として名をなすのは18世紀半ば,とりわけ高機(…
足利持氏 (あしかがもちうじ) 生没年:1398-1439(応永5-永享11)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 室町中期の武将。足利満兼の子。鎌倉公方(くぼう)4代。幼名は幸王丸。1409年(応永16)満兼の死を受けて鎌倉公方となる。翌年元服して将軍義持の偏…
足利基氏 (あしかがもとうじ) 生没年:1340-67(興国1・暦応3-正平22・貞治6)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 南北朝時代の武将。足利尊氏の子。1349年(正平4・貞和5)兄義詮に代わって鎌倉の主となり,初代の鎌倉公方(くぼう)となる。養父直義の政治的影響…
足利直冬 あしかがただふゆ
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]?[没]元中4=嘉慶1(1387).7.2.南北朝時代の武将。尊氏の子。叔父直義の養子。妾腹であったため,幼くして東勝寺に入り,喝食 (かっしき) となっ…
足利持氏 あしかがもちうじ
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]応永5(1398)[没]永享11(1439).2.10. 鎌倉室町時代前期の武将。第4代鎌倉公方 (1409~39) 。左兵衛督。満兼の子。父の死により家督を継ぎ,応永 2…
足利基氏 あしかがもとうじ
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]興国1=暦応3(1340)[没]正平22=貞治6(1367).4.26. 鎌倉南北朝時代の武将。初代鎌倉公方 (1349~67) 。尊氏の3男 (『尊卑分脈』では次男) で,通…
足利尊氏 あしかがたかうじ (1305―1358)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 南北朝時代の武将。室町幕府の初代将軍。足利貞氏(さだうじ)の二男。母は上杉頼重(よりしげ)の女(むすめ)清子(きよこ)。初名又太郎高氏。1319年(元…
足利満兼 あしかがみつかね (1378―1409)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 室町前期の武将。鎌倉公方(くぼう)第2代足利氏満(うじみつ)の子。1398年(応永5)父氏満の後を継ぎ21歳で鎌倉公方となり、従(じゅ)五位下左馬頭(さま…
足利満直 あしかがみつただ (?―1440)
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 室町中期の武将。「みつなお」とも読む。篠川御所(ささがわごしょ)。鎌倉公方(くぼう)第2代氏満(うじみつ)の子、同3代満兼(みつかね)の弟。1399年(…
足利 紫山 アシカガ シザン
- 20世紀日本人名事典
- 明治〜昭和期の僧侶 臨済宗奥山方広寺派管長;臨済宗十三派合同初代管長。 生年安政6年4月11日(1859年) 没年昭和34(1959)年12月30日 出生地愛知県 …
足利喜三郎 (あしかがきさぶろう)
- 367日誕生日大事典
- 生年月日:1842年4月18日江戸時代後期;末期;明治時代の農民1930年没
足利喜三郎 (あしかが-きさぶろう)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- 1842-1930 幕末-昭和時代前期の農民。天保(てんぽう)13年4月18日生まれ。父の急死を機に浄土真宗の信仰に目ざめ,その言行によって近隣の人々にふか…
足利成氏 (あしかが-しげうじ)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- 1434/38-1497 室町時代の武将。永享6/10年生まれ。足利持氏(もちうじ)の4男。結城(ゆうき)合戦後,2人の兄は殺されたが,成氏は幼年のためゆるされ…
足利高基 (あしかが-たかもと)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ?-1535 戦国時代の武将。2代古河公方(こがくぼう)足利政氏の長男。北条早雲の画策により,一度和解した父とふたたび対立。永正(えいしょう)9年(1512…
足利直義 (あしかが-ただよし)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- 1306-1352 鎌倉-南北朝時代の武将。徳治(とくじ)元年生まれ。足利貞氏の子。兄尊氏とともに建武(けんむ)政権樹立に貢献。建武2年中先代(なかせんだ…
足利[市]【あしかが】
- 百科事典マイペディア
- 栃木県南西端の市。1921年市制。足尾山地南麓と渡良瀬(わたらせ)川沿岸の低地を占め,佐野市,群馬県の桐生,太田の両市と境を接する。中心市街は古…
足利基氏【あしかがもとうじ】
- 百科事典マイペディア
- 南北朝時代の武将。初代鎌倉公方。父尊氏の関東重視政策により,兄義詮(よしあきら)に代わって1349年鎌倉府の主(鎌倉公方)となった。畠山国清(くに…
足利晴氏
- 朝日日本歴史人物事典
- 没年:永禄3.5.27(1560.6.20) 生年:生年不詳 戦国時代の武将。高基の子。4代古河公方。幼名は満千代王丸。享禄1(1528)年,越後長尾氏の援助を受けて…
足利成氏 あしかがしげうじ
- 旺文社日本史事典 三訂版
- 1434〜97室町中期の鎌倉公方。古河 (こが) 公方持氏の子。永享の乱後も幕府にそむき捕らえられ上京。のち許され,1449年迎えられて鎌倉に入ったが,…
足利基氏 あしかがもとうじ
- 旺文社日本史事典 三訂版
- 1340〜67室町前期の初代鎌倉公方尊氏の子。1349年尊氏の命で兄義詮 (よしあきら) に代わって鎌倉に下向。宗良 (むねよし) 親王,新田義貞の子義興 (…
足利郡あしかがぐん
- 日本歴史地名大系
- 栃木県:下野国足利郡下野国南西部に位置し、安蘇(あそ)郡の西、渡良瀬川北岸にある。郡域は現在の足利市の北部約三分の二、佐野市西方の一部、現…
足利学校 あしかががっこう
- 山川 日本史小辞典 改訂新版
- 中世,下野国足利(現,栃木県足利市)に設けられた儒学・易学の学校。草創の時期や状況は不詳だが,室町中期の永享頃に,足利荘を管轄した関東管領上…
足利直冬 あしかがただふゆ
- 山川 日本史小辞典 改訂新版
- 生没年不詳。南北朝期の武将。尊氏の庶子。母は越前局。はじめ鎌倉東勝寺の喝食(かっしき)。尊氏が将軍になると上洛するが,実子と認められず,叔父…
南北朝時代【なんぼくちょうじだい】
- 百科事典マイペディア
- 1333年鎌倉幕府の滅亡から室町幕府の全国統一まで約60年間の時代。以前は政治史的時代区分として南朝と北朝とに分裂した1336年から1392年の両朝合一…
多芸島村たぎしまむら
- 日本歴史地名大系
- 岐阜県:大垣市旧多藝郡・不破郡地区多芸島村[現]大垣市多芸島・入方(いりかた)南流する杭瀬(くいせ)川が西へ流れを変え、相(あい)川を合流…
坂井村さかいむら
- 日本歴史地名大系
- 福岡県:甘木市坂井村[現]甘木市福光(ふくみつ)城力(じようりき)村の西、桂(かつら)川下流域の平野部に位置する。下座(げざ)郡に属し、北…
足利直義 (あしかがただよし) 生没年:1306-52(徳治1-正平7・文和1)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 目次 直義の人物像初期室町幕府の執政者,武将。足利尊氏の弟。父貞氏,母は尊氏と同じ上杉頼重の女清子。兵部大輔,左馬頭を経て相模守,左兵衛…
足利満兼 (あしかがみつかね) 生没年:1378-1409(天授4・永和4-応永16)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 室町前期の武将。足利氏満の子。鎌倉公方(くぼう)3代。幼名は寿王丸。将軍義満の偏諱(へんき)を得て満兼と称す。従五位下,左馬頭,のちに従四位…
足利ホールディングス
- 日本の企業がわかる事典2014-2015
- 正式社名「株式会社足利ホールディングス」。英文社名「Ashikaga Holdings Co., Ltd.」。銀行業。平成20年(2008)国有化されていた足利銀行の受皿とし…
足利幕府 (あしかがばくふ)
- 改訂新版 世界大百科事典
- →室町幕府
足利春王丸 (あしかが-しゅんおうまる)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ⇒あしかが-はるおうまる
足利家時
- 朝日日本歴史人物事典
- 生年:生没年不詳 鎌倉時代の武将。足利頼氏の子,尊氏の祖父。母は上杉重房の娘。妻は北条時茂の娘。足利の一族である今川了俊の書いた『難太平記』…
足利銀行 あしかがぎんこう
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- 地方銀行。1895年設立。1914年佐野銀行を合併し,その後栃木県と埼玉県の 5行を合併,12行を買収,1944年下毛貯蓄銀行を買収して成長。栃木県内を中…