伊万里(読み)イマリ

デジタル大辞泉 「伊万里」の意味・読み・例文・類語

いまり【伊万里】

佐賀県西部の市。伊万里湾に臨み、伊万里焼石炭の積み出し港、漁港として発展。人口5.7万(2010)。
伊万里焼」の略。

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精選版 日本国語大辞典 「伊万里」の意味・読み・例文・類語

いまり【伊万里】

[1] 佐賀県西部の地名松浦半島の付け根、伊万里湾奥にある港町江戸時代有田焼(伊万里焼)の唯一の売買市場、積み出し港に指定されて繁栄。明治以降は唐津・佐世保炭田の石炭の積み出し港としても栄えた。昭和二九年(一九五四市制
[2] 〘名〙 「いまりやき(伊万里焼)」の略。
町人嚢(1692)三「紀の国の雑椀、伊万利の茶碗ならば」

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改訂新版 世界大百科事典 「伊万里」の意味・わかりやすい解説

伊万里[市] (いまり)

佐賀県西部,伊万里湾に面する市。1954年に西松浦郡の伊万里・山代両町,波多津・黒川・二里・東山代・南波多・大川・松浦の7村が合体して市制。人口5万7161(2010)。市域は伊万里湾岸から,唐津湾に注ぐ松浦川水系の内陸部に広がる。中世には伊万里氏,山代氏など松浦(まつら)党諸氏が割拠した。近世に入ると湾奥部は佐賀藩領となり,その中核の伊万里津は,有田皿山など肥前各地の焼物積出港としてにぎわい,伊万里焼の名称を生み出した。なお大川内(おおかわち)山の佐賀藩窯は,色鍋島などの名品を焼成したが,一般への積出しは禁じられていた。1871年(明治4)9月佐賀県と厳原(いづはら)県が合併して伊万里県となり,翌年5月まで県庁が置かれた。98年国鉄松浦線(現,松浦鉄道)が通じ,焼物積出港の機能は衰えたが,旧山代郷などで炭鉱開発が台頭した。1961年当時,市域に10の炭鉱を数えたが,すべて閉山。一連の工業団地の造成が進められ,湾岸の久原(くばら)炭鉱跡地一帯には木材合板関係の諸工場が,さらに七ッ島工業団地には基幹の名村造船などが立地した。背後農村部では,ナシをはじめミカン,ブドウなどの栽培も進んでいる。県重要無形文化財の脇野大念仏,県史跡の小島古墳などがある。伊万里神社秋祭の〈トンテントン〉は勇壮活発な神事として知られる。“秘窯の里”大川内山鍋島藩窯公園が1984年にオープンした。JR筑肥線が通じる。
有田焼
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デジタル大辞泉プラス 「伊万里」の解説

伊万里

佐賀県伊万里市にある道の駅。国道202号に沿う。

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