悪源太(読み)アクゲンタ

デジタル大辞泉 「悪源太」の意味・読み・例文・類語

あく‐げんた【悪源太】

源義平みなもとのよしひら異名
松居松翁戯曲。2幕。報知新聞自身が連載した同名小説を、市川左団次初世)の依頼で脚色した歴史劇。明治32年(1899)明治座初演。座付き作者以外の作品として初めて上演された歌舞伎作品。

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精選版 日本国語大辞典 「悪源太」の意味・読み・例文・類語

あく‐げんた【悪源太】

平治(1220頃か)上「義朝が嫡子、鎌倉悪源太義平、母方の祖父三浦介がもとにありけるが」
[二] 悪源太の生涯に取材した戯曲。松居松翁作。明治三二年(一八九九)上演。座付作者によらない歌舞伎作品として、新歌舞伎運動に大きな影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「悪源太」の意味・わかりやすい解説

悪源太
あくげんた

松居松葉(しょうよう)(松翁)作の史劇。4場。1899年(明治32)9月明治座で、初世市川左団次らにより初演。同年11月『文芸倶楽部(くらぶ)』に発表。1895年『報知新聞』に連載した自作の同名小説を、左団次の依頼で脚色したもの。平治(へいじ)の乱の源平両家の抗争を素材に、源義平(よしひら)(悪源太)と平重盛(しげもり)の対立と、悪源太が石山寺で捕らえられるが花咲姫の取りなしで命を助けられ、六波羅(ろくはら)に引き立てられていくまでを描く。松葉は、文人と梨園(りえん)を結び付ける意図で書いたが、座付き作者の妨害工作にあった。局外文学者の書いた史劇が歌舞伎(かぶき)界で取り上げられた最初の作品として記念碑的戯曲となる。

[藤木宏幸]

『戸板康二編『明治文学全集85 明治史劇集』(1969・筑摩書房)』

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「悪源太」の解説

悪源太
あくげんた

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治32.9(東京・明治座)

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世界大百科事典(旧版)内の悪源太の言及

【源義平】より

…源義朝の長子,頼朝の兄。鎌倉悪源太,悪源太と呼ばれた。1155年(久寿2)叔父義賢(よしかた)(源義仲の父)を武蔵に殺害。…

※「悪源太」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」