浜玉(読み)はまたま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浜玉」の意味・わかりやすい解説

浜玉
はまたま

佐賀県北部、東松浦(ひがしまつうら)郡にあった旧町名(浜玉町(ちょう))。現在は、唐津市(からつし)浜玉町(はまたままち)地区で、市域の中央北部、東寄りを占める。旧浜玉町は1956年(昭和31)浜崎(はまさき)町と玉島(たましま)村が合併して浜崎玉島町となり、1966年浜玉町と改称。2005年(平成17)厳木(きゅうらぎ)町、相知(おうち)町、肥前(ひぜん)町、鎮西(ちんぜい)町、呼子(よぶこ)町、北波多(きたはた)村とともに唐津市に合併。旧町域は、唐津湾に臨み、北を福岡県と接する。脊振(せふり)山地から玉島川水系が湾奥東部に注ぎ、下流に沖積低地が開け、海岸には虹の松原(にじのまつばら)砂丘が弧を描く。JR筑肥(ちくひ)線、国道202号、323号、二丈浜玉道路が通じ、西九州自動車道唐津道路の浜玉インターチェンジがある。ミカンの町として知られ、樹園地が山間傾斜地一帯に広がるが、ブドウ、野菜、畜産などとの複合経営が進み、またリンゴ園への転換も一部試みられる。米・麦生産の組織化も進み、浜玉地区機械利用組合は1982年度朝日農業賞に輝く。河口付近の浜崎に、ノリ養殖などの漁港や市街地が分布。福岡、唐津中心地方面への通勤者も多い。古くは朝鮮交通要衝の地で、神功皇后(じんぐうこうごう)説話や『万葉集』にも登場する。谷口古墳(たにぐちこふん)と横田下古墳(よこたしもこふん)は国指定史跡。鏡山(かがみやま)(284メートル)と、特別名勝虹の松原は、玄海国定公園(げんかいこくていこうえん)の一中心。祇園(ぎおん)祭の山笠(やまがさ)や海水浴客でにぎわう。

[川崎 茂]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浜玉」の意味・わかりやすい解説

浜玉
はまたま

佐賀県北部,唐津市東部で飛び地をなす旧町域。東部および南部を脊振山地が占め,北部は唐津湾に面する。 1956年浜崎町と玉島村が合体して浜崎玉島町として成立,1966年浜玉町に名称変更。 2005年唐津市,相知町,北波多村,厳木町,鎮西町,肥前町,呼子町と合体し唐津市となる。中心集落の浜崎神功皇后のアユ釣りの伝説をもつ玉島川の河口,国の特別名勝虹ノ松原の東端にあたり,玄海国定公園に属する。山麓地帯は玉島みかんとして知られるミカンの産地で,沿岸には漁業集落もある。国指定史跡の谷口古墳,横田下古墳がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「浜玉」の意味・わかりやすい解説

浜玉 (はまたま)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の浜玉の言及

【児童文学】より

…これは,回想的・私小説的方法とともに,児童文学から物語性に富んだおもしろさをうばいとり,子どもを通俗文学のとりことして放置する結果を生んだ。その間にあって,宮沢賢治,新美南吉の童話は想像ゆたかな物語性で異色を放ち,また幼年童話における浜田広介は独特な調子で近代説話を語り,それぞれ戦中・戦後にわたって広範な読者をもった。 第2次世界大戦後,平和と民主主義という新しい価値観の到来とともに,《赤とんぼ》《銀河》《子供の広場》など文化的・進歩的な児童雑誌の創刊があいつぎ,一種熱っぽい状況のなかで,石井桃子《ノンちゃん雲に乗る》(1947),竹山道雄《ビルマの竪琴(たてごと)》(1948),壺井栄《二十四の瞳》(1952)など今日にも残る作品が生まれた。…

※「浜玉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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