日本大百科全書(ニッポニカ) 「うきは」の意味・わかりやすい解説
うきは(市)
うきは
福岡県南部にある市。2005年(平成17)、浮羽(うきは)郡吉井町、浮羽町が合併して市制施行、うきは市となった。これにより浮羽郡は消滅。市名は旧郡名に由来。市域の北部は筑後川(ちくごがわ)南岸の平坦地、南部から東部にかけては耳納山地(みのうさんち)の山々が連なり、平地と山地の間に山麓部を形成。筑紫平野の東端部にあたる平坦地には水田地帯が広がり、山麓部には果樹園、山間部には棚田の景観がみられる。耳納山地を水源に筑後川支流の隈上(くまのうえ)川、巨瀬(こせ)川が流れ出し、市域を貫流する。隈上川に合所(ごうしょ)ダムがあり、巨瀬川には2009年に藤波(ふじなみ)ダムが建設された。北部平野を国道210号、JR久大(きゅうだい)本線が東西に走り、西から筑後吉井、うきは、筑後大石(おおいし)の3駅がある。
中世には皇室領の生葉(いくは)荘、豊前宇佐(うさ)宮領の隈上荘、小家(おえ)荘などが成立。江戸時代には大部分が筑後国生葉郡に属した(一部は竹野(たけの)郡)。江戸前期に大石(おおいし)・長野(ながの)・袋野(ふくろの)の3堰(生葉の三堰)が築造され、沖積地帯の水田化が進んだ。五穀以外に辛子(からし)・櫨木(はぜのき)・藍(あい)・菜種(なたね)などの換金作物も栽培され、旧浮羽町地区では千足(せんぞく)町や古川(ふるかわ)町が賑(にぎ)わいをみせた。旧吉井町地区では大庄屋が居住した吉井町が日田街道(豊後街道)の宿場町、また在郷町として繁栄。木蝋製造や醸造業なども興り、豪農や富裕商人層の大地主化が進んだ。吉井町は明治時代中頃から昭和前期には、全国富裕番付で三役格に伍すほどで、旧街道筋には白壁土蔵造の町並が残される。
現在の基幹産業は農林業。米・麦のほか果樹、花卉(かき)、野菜などの栽培が盛ん。富有柿、乾麺は特産品として知られ、乾麺は県生産量の90%を占める。1955年(昭和30)に開かれた筑後川温泉は、新興ながら湯量が豊富で、国民保養温泉地に指定されている。一の瀬焼(いちのせやき)は江戸時代以来の伝統を誇り、近代に入って一時廃れたが、昭和30年代に再興。平川家住宅は福岡県筑後川流域から佐賀県にかけて分布する凹字形の屋根をもつ「くど造り」の民家で、よく整備され、規模も大きく国の重要文化財に指定されている。面積117.46平方キロメートル、人口2万7981(2020)。
[編集部]