デジタル大辞泉
「ウタント」の意味・読み・例文・類語
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ウ‐タント
- ( U Thant ) ビルマ(現ミャンマー)の政治家。第三代国連事務総長。一九六一年前任者のハマーショルドの死去により暫定事務総長となり翌年正式事務総長となる。ベトナム停戦など東西緊張緩和に貢献した。七一年一〇月中国の国連加盟が実現した後総長を退いた。(一九〇九‐七四)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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ウ・タント
うたんと
U Thant
(1909―1974)
ビルマ(現ミャンマー)の政治家、第3代国連事務総長。第二次世界大戦前は故郷パンタナウの高校教師。戦後、ラングーン大学(現ヤンゴン大学)在学中に知己を得たウー・ヌの要請で、反ファシスト人民自由連盟の活動に参加。1948年のビルマ独立後、情報省次官、総理府官房長などを歴任。ウー・ヌ首相の訪問外交に側近として随行、1957年優れた外交感覚を買われて国連常駐代表となった。1959年国連総会副議長を経て、1961年ハマーショルド事務総長の事故死に伴い暫定事務総長に選ばれた。出身国ビルマの非同盟路線を体現しつつ、西イリアン、コンゴ、キプロス、キューバなど、相次ぐ冷戦的危機の平和的解決に手腕を発揮、1962年初の第三世界出身の国連事務総長となった。1966年再選。1971年の中国国連代表権問題の解決に至る任期切れまで、ベトナム停戦など東西緊張緩和、「国連開発の10年」など南北格差是正に献身した。1974年11月25日アメリカで死去。
[黒柳米司]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ウ・タント
U Thant
[生]1909.1.22. ビルマ,パンタナウ
[没]1974.11.25. ニューヨーク
ビルマ (現ミャンマー) の教育者,政治家。ラングーン大学に入学したが,父の死で故郷に帰り,教師となった。第2次世界大戦中には教育関係の公職を歴任,戦後,ウー・ヌとアウン・サンにすすめられて政府機関に入り,1947年広報課に属した。 57年8月ビルマの国連大使。 61年 11月国連暫定事務総長,62年 11月第3代国連事務総長に任命された。西イリアン問題,キューバ・ミサイル危機,カシミール紛争,ベトナム戦争,中東戦争などの解決に尽力。ベトナム問題でアメリカの北爆停止を主とした調停案を提出した。インド政府から 65年度ネルー賞受賞。 71年 12月末,事務総長を辞任。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ウ=タント
U Thant
1909〜74
ミャンマー(ビルマ)の政治家で,第3代国連事務総長
1957年国際連合大使。1961年11月,ハマーショルド国連事務総長の事故死のあと,暫定事務総長をへて62年11月正式に就任。西イリアン調停・キューバ危機・ヴェトナム戦争などの解決に努力し,中国の国連加盟を実現した。1971年辞任。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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ウ・タント
生年月日:1909年1月22日
ビルマの政治家,第3代国際連合事務総長
1974年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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