うるま(市)(読み)うるま

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

うるま(市)
うるま

沖縄県、沖縄本島中部にある市。東海岸に位置し、金武湾(きんわん)に臨み、与勝半島(よかつはんとう)、藪地島(やぶちじま)、平安座島(へんざじま)、宮城島(みやぎじま)、伊計島(いけいじま)、浜比嘉島(はまひがじま)、津堅島(つけんじま)など、与勝諸島の島嶼(とうしょ)を含む。2005年(平成17)、石川市(いしかわし)、具志川市(ぐしかわし)、中頭(なかがみ)郡与那城町(よなしろちょう)、勝連町(かつれんちょう)が合併して成立。市名の「うるま」は珊瑚の島を意味する。北は国頭(くにがみ)郡金武町、恩納(おんな)村、西から南は沖縄市に接する。市域の大部分は開析(かいせき)された台地、丘陵地で、金武湾、中城(なかぐすく)湾に面する沿岸部は低地、島嶼部は石灰岩の低平な島である。南北に沖縄自動車道が通り、石川インターチェンジがある。ほぼ平行して国道329号が通る。半島部と平安座島は全長4.75キロメートルの海中道路で連結し、平安座島と浜比嘉島は浜比嘉大橋で結ばれる。平安座島と宮城島との間は埋め立てられ、宮城島と伊計島間には伊計大橋が架かる。半島部と藪地島の間は藪地大橋で結ばれ、半島部の平敷屋(へしきや)港から津堅島へ定期船が就航。
 伊計島には約2500年前の貝塚時代中期の仲原遺跡(なかばるいせき)がある。与勝半島の付け根近くにある勝連城跡(国指定史跡。ユネスコの世界遺産に登録)は、15世紀前半、『おもろさうし』に謡われた阿麻和利(あまわり)の居城。勝連の繁栄は京都にも鎌倉にもたとえられたという。具志川地区はジャーガルとよばれる肥沃な土壌に恵まれ、第二次世界大戦前はサトウキビの生産量が沖縄一を誇った。明治期、無禄(むろく)士族が多数帰農して屋取(ヤードイ)集落を形成した。戦後は具志川地区の高江洲(たかえす)一帯が避難民の収容地区に指定されて人口が急増、アメリカ軍の指令により高江洲市、のちに付近を統合して前原(まえはら)市が成立(一部は現宜野湾(ぎのわん)市にもおよぶ)、文教学校、外語学校(ともに琉球大学の前身)などがあった(順次那覇へ移転)。石川地区にも沖縄戦により避難民収容所が設置された。1945年には琉球(りゅうきゅう)政府の前身である沖縄諮詢会(しじゅんかい)が設立され、沖縄の政治、経済、文教の中心地となった。しかし1946年沖縄諮詢会は佐敷(さしき)町に移り、避難民も故郷に帰村、人口は急減した。
 現在もアメリカ軍用施設を抱えるが、豊富な水資源と肥沃な土地を利用したサトウキビ、イグサ、ミカン、メロン、マンゴーや花卉(かき)栽培のほか、津堅島のニンジン、肉用牛、養豚などの畜産、金武湾、中城湾、浜比嘉島、津堅島の沿岸漁業が盛ん。また中城湾で新港地区開発が進んでおり、加工交易型産業、半導体製造業などの拠点となっている。平安座島には大規模な石油備蓄基地がある。貝塚時代前期の伊波貝塚(いはかいづか)(国指定史跡)、貝塚時代中期のシヌグ堂遺跡、安慶名城跡(あげなじょうあと)(国指定史跡)、伊波城跡などの文化財、宇堅(うけん)ビーチ、伊計ビーチなどでの海水浴や釣り、7000人を収容できる安慶名闘牛場での観光闘牛など、観光の発展も図られている。面積87.01平方キロメートル(一部境界未定)、人口11万8898(2015)。[編集部]

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