〈判断中止・停止〉を意味する哲学用語。古代ギリシアの懐疑論者ピュロンは,さまざまな哲学説の真偽を判定しようとしたが徒労に終わり,いたずらに苦悩を増すだけであった。それゆえ彼は心の平静を得るべく,判断停止を決意した。デカルトも,一連の探究事項のうちにわれわれの知性が十分に直観しえないものが現れたならば,そこで停止すべきだとした。フッサールは,現象学的還元の対概念として,この語を用いている。現象学の主題の一つは,あらゆる対象的存在者の真の在り方を,認識主観の意識作用との相関関係の中で究明することにある。しかるに通常の自然的-客観的見方によれば,客観的事物は,主観の認識体験を超越して,それとは無関係に独自に存在しているかのようにみなされている。しかし超越的な客観が主観にとっての対象として認識されうるのはなぜか。この疑問の解明を目指す現象学者は,習性化した客観的見方を打破して,自己の意識体験の内在領域へ関心を向け直すために,客観の存在についての判断を一時中止すべきだとされる。
執筆者:立松 弘孝
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ギリシア語のもとの意味は「とどまること」「何かをしないでおくこと」。ピュロンその他の古代懐疑主義者たちが「判断停止」の意味に用いた。彼らによれば、判断する人についても立場や状態や条件が多様であるから、何物も、一義的に善(よ)いとも悪いとも、また、あるともないとも判断できない。ゆえに、われわれは何事についても判断を差し控えるほかはなく、またそうすべきであるという。近代の哲学者フッサールは、このエポケーを、彼の現象学の方法を表現することばとして用いた。この場合は、純粋意識を記述する道を開くために、事物の存在について判断を控えることを意味する。
[田中享英]
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…しかし,そのような超越的客観がいったいどのようにして〈これこれしかじかの存在者〉として,すなわち〈意味的に規定された対象〉として認識されうるのか,という疑問を解明するのが〈超越論的〉現象学の課題である。それゆえ現象学者は対象の実在を素朴に認める態度を一時中止(エポケー)すると同時に,反省のまなざしを自分自身の意識作用そのものへ向けるための現象学的還元(または超越論的還元)を行わねばならない。この還元の結果あらゆる対象は,もはや端的な超越者とはみなされず,もっぱら意識の志向的相関者として,すなわち認識されている限りにおいて,意識体験の領域に志向的に内在するノエマ的対象(思念されている対象)として,その認識の可能性と存在性格を究明されることになる(ノエシス)。…
※「エポケー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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