イギリスの詩人,批評家。20世紀の英米批評の革命にもっとも大きな役割を果たした一人。ケンブリッジ大学ではじめ数学を専攻,のちI.A.リチャーズの影響で英文学に変わった。知的で簡潔,しかし堅牢精緻な様式,構成と晦渋な比喩,奇想にみちた詩は,寡作ながら,後輩詩人,とりわけ1950年代の反ロマン主義的な傾向をもつ〈ムーブメント〉派の詩人たちに大きな影響を与えた。しかし,文学界に詩よりも大きな影響を与えたのは彼の批評的方法だろう。
ケンブリッジ在学中に書かれた《曖昧(あいまい)の七つの型》(1930)では,文学作品中にある一つの単語,表現のなかに二つ以上の意味を読みとった場合,それをいずれか一方を正しいものとして他を切り捨ててしまわず,その重層的な意味こそ作品の本質であると主張した。こうした意味の重層性,〈曖昧さ〉に積極的な価値を見いだす立場は,文学作品を平板な読み方から救い,言語のきめや文飾に繊細,精緻な視点をめぐらせることになり,また,作者の意図よりも,作品そのもの,読者の読み方に優位をおくことになった。この方法は,アメリカの〈ニュー・クリティシズム〉への道を開いた。〈牧歌〉という概念に,複雑なものを単純素朴な形式で表現する,雅(みや)びと鄙(ひな)びの対照・混淆を見て,単語やある一節より大きな単位での重層的感覚の価値を論じた《牧歌の諸変奏》(1935)は処女作をさらに一歩進めたものであり,《複合語の構造》(1951)は,一つの単語に担わされた意味を通時的・共時的に執拗に追究した労作である。1931-34年の間滞日し東京文理科大学,東京大学で教鞭をとったあと,抗日戦争中の西南聯合大学でも教え,後年はイギリスのシェフィールド大学教授になった。詩集に《吹き募る嵐》(1940),《全詩集》(1949),他の批評作品に《ミルトンの神》(1961)がある。
執筆者:出淵 博
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イギリスの批評家、詩人。ケンブリッジ大学で初め数学を専攻、のち文学に転じI・A・リチャーズに学ぶ。在学中に書き一躍有名になった『曖昧(あいまい)の七つの型』(1930)は分析批評の方向を決定した画期的論文で、アメリカのいわゆる「新批評(ニュー・クリティシズム)家」たちに大きな影響を及ぼした。この分野にはほかに『牧歌の諸相』(1935)、『複合語の構造』(1951)、『ミルトンの神』(1961)などがある。他方、難解な詩風で知られる詩を書き、『詩集』(1935)、『風雲』(1940)、『全詩集』(1955)などで自己の詩論を作品化した。1931年(昭和6)から3年間東京文理科大学(現、筑波(つくば)大学)で教えたこともある。1953年からシェフィールド大学英文学教授を務めた。
[外山滋比古]
『星野徹訳『曖昧の七つの型』(1972・思潮社)』
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…20年代のT.S.エリオットやI.A.リチャーズらによる新しい文学意識にもとづき,文学作品(とくに詩)の精密・客観的な評価をめざした。J.C.ランサム,A.テートらの率いるアメリカの〈南部批評家〉がその母体とみなされるが,イギリス側ではケンブリッジ大学でリチャーズの教えを受けたW.エンプソンをその数に入れることもある。20世紀の知的で難解な新しい詩,およびそれとの強い類似性を示す17世紀イギリスの〈形而上詩〉を偏愛した。…
… 牧歌は羊飼いについて,羊飼いの声で歌われる文学だが,それを書くのは宮廷詩人をはじめとする知識人である。この構造的落差の意味を拡大し,たとえばプロレタリアの生活についてプロレタリアの声でブルジョア作家が書く〈プロレタリア文学〉も,牧歌の一変種であると指摘したのが,W.エンプソンの《牧歌の諸変奏》(1935)である。牧歌というジャンルの本質を,側面から照射する達見というべきであろう。…
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