シェーレ(読み)しぇーれ(英語表記)Karl Wilhelm Scheele

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シェーレ」の意味・わかりやすい解説

シェーレ
しぇーれ
Karl Wilhelm Scheele
(1742―1786)

ドイツ系スウェーデン薬学者、化学者。生誕地シュトラルズントは現在はドイツにあるが、当時はスウェーデンに属していた。年少のころから薬学に興味を覚え、それを一生の仕事とするため、14歳で学校を終えたのち、イョーテボリにある薬局で見習いを始めた。8年ほど勤めたのち、この地を去って各地を放浪し、ストックホルムウプサラにもしばらく滞在した。大学は出ていなかったが、もっぱら見習いで鍛えた優秀な腕を駆使して、両地滞在中に新しい物質を次々と発見した。それらの重要な発見が認められて、1775年にスウェーデン科学アカデミーの会員に選ばれた。同年チェピングという小さな町の薬局を任されることになり、以後、死ぬまでここを離れなかった。

 彼の発見したものに、亜硝酸フッ化水素(フッ化ケイ素酸との混合物ではあったが)、塩素尿酸乳酸青酸グリセリングリセロール)、その他多くのものがある。しかし当時はまだ元素概念も確立しておらず、彼の仕事は単に新物質をつきとめたにとどまる。同じことが彼の酸素の発見についてもいえる。プリーストリーは、気体酸素(彼は「脱フロギストン空気」とよんだ)を1774年に得たが、シェーレはそれより早く、ウプサラ滞在中、1771年ごろには得ていたと考えられる。これは、酸化水銀、炭酸銀、硝酸マグネシウム、硝石などを熱するか、あるいは二酸化マンガンヒ酸または硫酸とともに加熱して得られたようである。この気体が燃焼を支え動物の呼吸を助けることから、これを「火の空気」とよんだ。彼の唯一の著作『空気と火についての化学教程』は、1777年になるまで出版されなかったため、彼の発見が外国に知られるのが遅れた。また彼は、当時の燃焼理論であった、燃焼とは燃素の遊離だとするフロギストン説を捨てなかった。

[吉田 晃]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シェーレ」の意味・わかりやすい解説

シェーレ
Scheele, Karl Wilhelm

[生]1742.12.9. ポモージェ,シュトラルズント
[没]1786.5.21. チェーピング
スウェーデンの実験化学者。 1756年エーテボリの薬局で徒弟修業を始める。以来,稼業にいそしむかたわら研究に励む。ウプサラ大学教授 T.O.ベリマンに師事し,スウェーデンはもとよりドイツ,イギリスの大学から教授に招かれるが,生涯薬局の経営と一研究者という立場を貫いた。ストックホルム王立科学アカデミー会員 (1775) 。多くの新物質を独自に発見したことで知られる。有機化合物では酒石酸,クエン酸,安息香酸,シュウ酸,甘没食子酸,乳酸,尿酸など,無機化合物ではモリブデン酸,亜ヒ酸銅,タングステン酸カルシウムなど,元素としては塩素,マンガン,バリウム,モリブデン,タングステン,窒素,酸素などがある。特に酸素については J.プリーストリーの発見に約2年先立っていたが,発表が遅れたため,シェーレの発見とされていない。シェーレの発見にはこのような例が少くない。

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