ドイツ系スウェーデンの薬学者、化学者。生誕地シュトラルズントは現在はドイツにあるが、当時はスウェーデンに属していた。年少のころから薬学に興味を覚え、それを一生の仕事とするため、14歳で学校を終えたのち、イョーテボリにある薬局で見習いを始めた。8年ほど勤めたのち、この地を去って各地を放浪し、ストックホルム、ウプサラにもしばらく滞在した。大学は出ていなかったが、もっぱら見習いで鍛えた優秀な腕を駆使して、両地滞在中に新しい物質を次々と発見した。それらの重要な発見が認められて、1775年にスウェーデン科学アカデミーの会員に選ばれた。同年チェピングという小さな町の薬局を任されることになり、以後、死ぬまでここを離れなかった。
彼の発見したものに、亜硝酸、フッ化水素(フッ化ケイ素酸との混合物ではあったが)、塩素、尿酸、乳酸、青酸、グリセリン(グリセロール)、その他多くのものがある。しかし当時はまだ元素の概念も確立しておらず、彼の仕事は単に新物質をつきとめたにとどまる。同じことが彼の酸素の発見についてもいえる。プリーストリーは、気体酸素(彼は「脱フロギストン空気」とよんだ)を1774年に得たが、シェーレはそれより早く、ウプサラ滞在中、1771年ごろには得ていたと考えられる。これは、酸化水銀、炭酸銀、硝酸マグネシウム、硝石などを熱するか、あるいは二酸化マンガンをヒ酸または硫酸とともに加熱して得られたようである。この気体が燃焼を支え動物の呼吸を助けることから、これを「火の空気」とよんだ。彼の唯一の著作『空気と火についての化学教程』は、1777年になるまで出版されなかったため、彼の発見が外国に知られるのが遅れた。また彼は、当時の燃焼理論であった、燃焼とは燃素の遊離だとするフロギストン説を捨てなかった。
[吉田 晃]
スウェーデン生まれのドイツ人薬剤師.14歳のとき“一角獣薬局”の徒弟となって以来,六つの都市を転々としつつ,生涯のほとんどを薬局の徒弟として過ごした.化学は,N. Lemery(1645~1715年)やH. Boerhaave(1668~1738年)などの著作を読み独学した.1770年から,18世紀のもっとも有名な化学者の一人ウプサラのT.O. Bergman(1735~1784年)と知り合い交流する.かれはBergmanに非常に多くの実地の知識を提供し,Bergmanはかれに理論的明晰さを与えた.43年の短い生涯の間に,古今東西例を見ないほど数多くの化学物質と現象を発見した.そのなかでもっとも有名なのは,J. Priestley(プリーストリー)やA.L. Lavoisier(ラボアジエ)と並ぶ酸素の独立発見である.1770~1773年に燃焼現象を体系的に研究し,“火の空気”(酸素)を発見した.その研究成果を1774年“空気と火についての化学論文”としてまとめたが,出版を仲介したBergmanの追試と序文の遅れがあって,1777年にやっと出版された.元素としてはこのほか塩素も発見し,その他多数の無機物質,有機物質を発見・生成した(ヒ酸,モリブデン酸,タングステン酸,フッ化水素,フッ化ケイ素,酪酸,酒石酸,コハク酸,マレイン酸,シュウ酸,硫化水素,亜ヒ酸銅,グリセリン,一連のエステル,シアン化水素,シアン化カリウム,アルデヒドなど).理論的には,Priestleyと同じく生涯フロギストン説に立っていた.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
スウェーデンの化学者。シュトラールズント(現,ドイツ領)の商人の家に生まれた。14歳で薬局の徒弟となって化学を独学し,ストックホルム,ウプサラで薬局に勤めつつ化学実験にうちこんだ。1772年ころはじめて酸素ガスをつくり,それが燃焼を支える空気の成分であることを明らかにしたが,著書《空気と火に関する化学論文》(1777)の出版が遅れたために酸素発見の栄誉はJ.プリーストリーに譲ることになった。74年軟マンガン鉱の研究において塩素,マンガン,バリタ水(水酸化バリウム)を発見したほか,硫化水素,フッ化水素,青酸,ヒ酸,グリセリン,酒石酸,シュウ酸,クエン酸,モリブデン,酸化タングステンなど多数の化学物質を発見,また骨灰からリンの製出,銀塩に対する光の作用の研究,石墨が炭素であることを明らかにするなど,多くの業績を残した。75年ケーピングに移り薬局を経営,86年一薬剤師としての短い生涯を閉じた。
執筆者:内田 正夫
鋏(はさみ)状価格差と訳される。〈シェーレ〉は〈鋏〉という意味であるが,経済学の用語として用いられるときにはつぎのような意味をもつ。資本主義経済の発展に伴って,価格決定のメカニズムが独占的な産業と競争的な産業とについて,本質的に異なる面をもち,その価格差が増大する傾向をもつ。その形状が鋏状に図示されることからこの名がつけられた。シェーレ現象は一般に,このような価格差の増大を指すが,ときとしては,工業製品と農産物との間の価格差がとくに,不況期ないしは不況からの回復期において拡大することを意味することもある。シェーレ現象は,相対価格の格差が拡大するにつれて景気変動の波をいっそう不安定なものとする点で注目されてきたが,統計的にどのようにとらえるか,とくに最近の景気変動の局面について明確でなくなってきた。
執筆者:宇沢 弘文
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…ハロゲン元素の中では最も早く単体が分離された元素である。1774年スウェーデンのK.W.シェーレが,塩酸と軟マンガン鉱を反応させてとり出し,〈フロギストンを除いた塩酸〉と報告したのが初めで,その後1810年イギリスのH.デービーによって元素であることが主張された。単体の塩素気体が黄緑色であることから,ギリシア語のchlōros(黄緑色)にちなんで命名された。…
…油脂(脂肪酸グリセリド)の成分として広く自然界に存在する。1779年K.W.シェーレによってオリーブ油の加水分解産物中から発見された。融点17.9℃,沸点290℃(760mmHg),154℃(5mmHg)。…
…フロギストン説の強力な支持者であったプリーストリーはこの新気体を〈脱フロギストン空気〉と名づけたが,これは,燃焼を支えなくなった空気は完全にフロギストンで満たされてしまったものと考えたことから命名されたものである。それと同じころスウェーデンのK.W.シェーレも,硝石を強く加熱するか軟マンガン鉱を濃硫酸で処理して得られる気体を〈火の空気〉と名づけていた。これが現在の酸素であり,プリーストリーとシェーレが酸素の発見者であるとされている。…
…加熱しても融解せず,400℃以上では分解。スウェーデンの化学者で,クエン酸をレモンから,また乳酸を牛乳から単離したK.W.シェーレが尿石中に発見(1776)。鳥類や陸生爬虫類,また双翅目(そうしもく)以上の昆虫類では窒素代謝の主要終末産物として排出され,グアノ中にも多量に含まれる。…
※「シェーレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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