スントーンプー(その他表記)Sunthonphu

改訂新版 世界大百科事典 「スントーンプー」の意味・わかりやすい解説

スントーンプー
Sunthonphu
生没年:1785-1855

タイ最大の詩人。スントーンプーは通称。本名プー。《クンチャーン・クンペーン》の一部,大作プラアパイマニー》をはじめ多くの旅行詩などがある。ラーマ2世の時クン・スントーンウォーハーンの位をおくられ,ラーマ4世の時66歳で再び召されてプラ・スントーンウォーハーンに叙せられ王の右筆となる。2歳の時父が仏門に入り,母は再婚して王宮に入り乳人となっている。学歴はないが市井語彙を駆使して絢爛華麗な押韻法を独創し,王侯貴族の文学を大衆化した功績は大きい。私生活は不羈奔放で,多くの女性と恋して何度も別れ,投獄2回,仏門に入っては酒で失敗し,船で行商の旅にも出た。彼が微醺を帯びて吟唱を始め調子が出ると,3人の門弟が速記しても追いつけなかったという。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スントーンプー」の意味・わかりやすい解説

スントーン・プー
すんとーんぷー
Sunthorn Phu
(1786―1856)

タイの詩人。ラーマ2世(在位1809~24)に認められて詩才を開花させ、文人としても知られる王の文筆活動を補佐した。しかし権威にこびず、尊大とも思える態度が災いを招き、ラーマ3世には冷遇され、不幸な晩年を送った。彼は俗語を多用し、平易な文体のなかに独特の押韻をもつ八言クローンという詩形式を完成、これまで王侯貴族専有物の観があった文学を民衆のものとした功績は大きい。代表作は、タイ文学最初のフィクションといわれる『プラアパイマニー物語』(ラーマ3世時代)、『黄金丘への紀行詩(ニラート)』(1828)などで、『クンチャーン・クンペーン物語』(ラーマ2世時代)の共同執筆者の1人。

[岩城雄次郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スントーンプー」の意味・わかりやすい解説

スントーン・プー
Sunthon Phu

[生]1786.6.26.
[没]1855
タイの詩人。バンコク朝ラーマ1世の治世に生れ,ラーマ4世の治世に没するまで,50年に及ぶ長い作家生命を保った。タイ文学史上最高の民間詩人,吟遊詩人栄誉をになっている。生来奇矯言行不遜な態度のため,しばしば周囲と衝突し,のちには宮廷詩人として愛顧を受けたラーマ2世からもうとまれた。また酒におぼれて家族とも相いれず,晩年は放浪の旅に身をおく境涯となり,没した月日も不明である。しかし,あふれるほどの豊かな詩才と,口語を駆使した平易な文体とで深く民衆から愛好された。ニラート (旅中の相聞歌) を最も得意とし,9編の傑作がある。ほかに物語詩『クンチャーン・クンペーン』 (再編) と韻文小説『プラ・アパイマニー』,戯曲,金言集などを残している。

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367日誕生日大事典 「スントーンプー」の解説

スントーン・プー

生年月日:1786年6月26日
タイの近世詩人
1856年没

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世界大百科事典(旧版)内のスントーンプーの言及

【タイ】より

…現行《布施太子本生経》のクライマックスの二つの章もこの人の筆による。ラーマ2世時代(1809‐24)はタイ文学の精華の時代で,宮廷には王やのちのラーマ3世をはじめ,市井の語彙を駆使して文学を大衆化したタイ最高の詩人スントーンプーら一流の詩人が集い,けんらんたる舞踊歌劇の傑作《イナオ》や純タイ的でタイ文学史上最,傑作《クンチャーン・クンペーン》が競作され,《法螺貝王子》《クライトーン》など多くの詩劇が完成された。個人の作としては最大のロマン《プラアパイマニー》(スントーンプー作)が完成したのはラーマ3世時代(1824‐51)であろう。…

※「スントーンプー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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