ディオプ(英語表記)Diop, Birago

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディオプ」の意味・わかりやすい解説

ディオプ
Diop, Birago

[生]1906.12.11. フランス領西アフリカ,ダカール
[没]1989.11.25. セネガル,ダカール
セネガルの作家,外交官。ウォロフ族出身。フランス語で執筆。民間伝承採録者としても知られる。サンルイリセで勉学後,フランスのトゥールーズ大学に入学,1933年まで獣医学を,その後は哲学を学んだ。幼少期から伝統的なフォークロアフランス文学に親しんだが,1933年にパリでセネガルの詩人レオポルド・セダール・サンゴールと出会い,ネグリチュード派の黒人詩人たちとともに『黒人学生』誌の編集に協力。フランス人と結婚,セネガルに戻ってからも獣医業のかたわら民話の採録に努めた。旧フランス領各地を渡り歩いたが,スーダンに転勤したとき,同地でのちに作品の主題となるアマドゥ・クンバという語り部グリオ)に出会った。セネガル独立後,1960年から 1964年までチュニジア駐在のセネガル大使となる。1964年,ダカールに帰ってからは家畜病院を経営。1925年頃から書き始めたが,作品にはフランス文化とイスラム文化の融合社会に生きるアフリカの人間群像が浮かび出ている。グリオから聞いた 19話をもとにした『アマドゥ・クンバの物語』Les Contes d'Amadou Koumba(1947)でたちまち世界的に有名になった。『新アマドゥ・クンバ物語』Les Nouveaux Contes d'Amadou Koumba(1958),詩集『おとり餌と閃光』Leurres et lueurs(1960)など。このほか,1978年から 1989年にかけて 5巻にのぼる自伝的回想録を出版した。(→アフリカ文学

ディオプ
Diop, David

[生]1927.7.9. フランス,ボルドー
[没]1960. セネガル,ダカール
セネガルの詩人。フランス語で執筆。セネガル人のキリスト教徒を父,カメルーン人を母として生まれた。幼年期を西アフリカで過ごし,ダカールとコナクリのリセの教師にもなったが,生涯のほとんどをフランスで送った。幼い頃から病弱で,生涯を通じて病院生活のほうが長かった。33歳のとき飛行機事故にあい妻とともに死去,ほとんどの詩の草稿が失われたという。強烈なイメージで望郷の念を押し出した詩は,多くの若手詩人から熱烈な支持を得た。詩集『杵つき』Coups de pilon(1956)のほか,レオポルド・セダール・サンゴール編『ニグロ・マダガスカル新詞華集』に収録された数編の詩が残るにすぎない。(→アフリカ文学

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディオプ」の意味・わかりやすい解説

ディオプ
でぃおぷ
David Diop
(1927―1960)

セネガルの詩人。父親はセネガル人医師、母親はカメルーン人。フランスのボルドーで生まれ、大半をフランスで過ごした祖国喪失者であるためか、祖国アフリカに対する切なる望郷の念と、祖国を凌辱(りょうじょく)する者に対する激越な怒りが、その詩の主潮である。セゼールやサンゴールを継承するネグリチュード派の若いホープと期待されながら飛行機事故で急死、詩の草稿も散逸した。詩集『連打』(1956)のほか、文芸誌『プレザンス・アフリケーヌ』やサンゴール編『ニグロ・マダガスカル新詩集』に収録された詩が若干残っている。

土屋 哲]

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