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フランス語で一般に〈公立学校〉の意味だが,普通は〈パリ国立高等演劇学校Conservatoire national supérieur d'Art dramatiquede Paris〉,または〈パリ国立高等音楽院Conservatoire national supérieur de Musique de Paris〉を指す。それらの起源は音楽と演劇の伝統を守るために1786年パリオペラ座に創立された王立音楽演劇学校で,やがてこれが国立となり,幾多の変遷を経たのち,1946年演劇部門と音楽部門が分かれてそれぞれ独立している。歴代の校長はL.ケルビーニ,A.トーマなどほぼすべてが作曲家であり,しかもその多くがオペラ作曲者であったことは特徴的であろう。
独立後の演劇学校は長く国立劇場コメディ・フランセーズ所属の俳優養成学校として,その正座員が徒弟教育的に教え,優等生のみをその準座員に迎えていた。しかし1968年以後大幅に改革され,現在は修業年限も1年短縮されて3年になり,外部からA.ビテーズのような前衛的演出家・俳優も招いて教授陣に加え,卒業生も必ずしもコメディ・フランセーズに縛られなくなり,帰属性は薄れた。教育内容も徒弟的な技術教育から高度の芸術感覚育成の専門教育へと変わり,さまざまな傾向の教師と接してフランス演劇の多彩な流れを体得できるよう考慮されている。1974年秋以来,外部から招かれた若手演出家ロスネルJacques Rosner(1936- )が,校長として改革を推進している。
一方,音楽院では,オペラ座とは別個の形態で,ピアノ,弦楽器,作曲,声楽など部門別の程度の高い専門教育によって優秀な音楽家を養成している。今日,日本で活躍する音楽家にも,パリ国立高等音楽院の出身者は多く,同校をさす〈コンセルバトアール〉の通称は,日本の音楽界でも親しみあるものとして用いられている。なお,同様の音楽院は,パリのほかリヨンなどにも存在する。
執筆者:伊藤 洋
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工芸や演劇の学校をさす場合もあるが、おもに音楽の専門的教育を行う学校をさし、音楽院と訳される場合もある。元来イタリア語のコンセルバトーリオconservatorioは、身寄りのない子供たちを養育し音楽を教える慈善施設を意味し、多くが病院に併設されていたためオスペダーレ(「病院」の意味)とよばれる場合もあった。とくにベネチアにはこの種の施設が多く、ビバルディが教師を務めたオスペダーレ・デッラ・ピエタは有名。のち、ヨーロッパで高度の音楽教育を行い、専門家の養成を目ざす音楽学校をコンセルバトアールとよぶようになった。
[美山良夫]
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…しかしフランス革命は,その思想がベートーベンを鼓舞したにせよ,彼に匹敵する音楽家をフランスに与えるどころではなかった。ただ革命政府は,1795年,既存の施設を基盤にしてフランスの誇るパリの国立コンセルバトアール(パリ音楽院)を新しく発足させた。 コルシカ出身のナポレオンは,パイジェッロ,F.パエル,スポンティーニらイタリアの音楽家をひいきにした。…
※「コンセルバトアール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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