コンセルバトアール

精選版 日本国語大辞典 「コンセルバトアール」の意味・読み・例文・類語

コンセルバトアール

  1. 〘 名詞 〙 ( [フランス語] conservatoire もともとは保護施設の意であるが、そこで音楽を教えていたところから ) 音楽学校。特に、フランスの国立高等音楽院(パリ音楽院)の通称。一七九五年設立。近代的な音楽学校の最初といわれる。従来は国立演劇学校を含めたが、一九四六年に分離。
    1. [初出の実例]「あの女も若い時分には巴里(パリー)の音楽学校(コンセルバトワール)の生徒であったかも知れぬ」(出典:ふらんす物語(1909)〈永井荷風〉霧の夜)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「コンセルバトアール」の意味・わかりやすい解説

コンセルバトアール

フランス語で一般に〈公立学校〉の意味だが,普通は〈パリ国立高等演劇学校〉と〈パリ国立高等音楽院〉をさす。日本では音楽院への留学生が多いことから,後者をいう場合が多い。その起源は1786年パリのオペラ座に創立された王立音楽演劇学校で,家系や境遇・階層にかかわらず能力ある者に門戸を開いたヨーロッパ最古の音楽・演劇専門学校として知られる。歴代校長の多くをオペラ作曲家が占めた点にも,設立の主旨がうかがわれる。その後の変遷を経て,1946年演劇部門と音楽部門がそれぞれ独立し,現名称となった。独立後の演劇学校は国立劇場コメディ・フランセーズ所属の俳優養成学校として運営されたが,1968年以後の大幅な改革で帰属性は薄れた。一方,音楽院は通称〈パリ音楽院〉。同校の成果を受けて1807年にはミラノ(現ベルディ音楽院),1817年にはウィーン(現ウィーン音楽アカデミー)に音楽専門学校が誕生するなど,その教育システムは各国の音楽学校の範とされた。矢代秋雄三善晃など,パリ音楽院に学んだ日本人音楽家も多い。
→関連項目アダンオッフェンバックオーベールオーリックオンド・マルトノカセラケルビーニゴセックジョリベデュカースデュティユーデュプレトーマドリーブナットフォーレブーランジェボイエルデューミヨーメシアンモイーズルーセルロゼーロン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「コンセルバトアール」の意味・わかりやすい解説

コンセルバトアール
Conservatoire

フランス語で一般に〈公立学校〉の意味だが,普通は〈パリ国立高等演劇学校Conservatoire national supérieur d'Art dramatiquede Paris〉,または〈パリ国立高等音楽院Conservatoire national supérieur de Musique de Paris〉を指す。それらの起源は音楽と演劇の伝統を守るために1786年パリオペラ座に創立された王立音楽演劇学校で,やがてこれが国立となり,幾多の変遷を経たのち,1946年演劇部門と音楽部門が分かれてそれぞれ独立している。歴代の校長はL.ケルビーニA.トーマなどほぼすべてが作曲家であり,しかもその多くがオペラ作曲者であったことは特徴的であろう。

 独立後の演劇学校は長く国立劇場コメディ・フランセーズ所属の俳優養成学校として,その正座員が徒弟教育的に教え,優等生のみをその準座員に迎えていた。しかし1968年以後大幅に改革され,現在は修業年限も1年短縮されて3年になり,外部からA.ビテーズのような前衛的演出家・俳優も招いて教授陣に加え,卒業生も必ずしもコメディ・フランセーズに縛られなくなり,帰属性は薄れた。教育内容も徒弟的な技術教育から高度の芸術感覚育成の専門教育へと変わり,さまざまな傾向の教師と接してフランス演劇の多彩な流れを体得できるよう考慮されている。1974年秋以来,外部から招かれた若手演出家ロスネルJacques Rosner(1936- )が,校長として改革を推進している。

 一方,音楽院では,オペラ座とは別個の形態で,ピアノ弦楽器,作曲,声楽など部門別の程度の高い専門教育によって優秀な音楽家を養成している。今日,日本で活躍する音楽家にも,パリ国立高等音楽院の出身者は多く,同校をさす〈コンセルバトアール〉の通称は,日本の音楽界でも親しみあるものとして用いられている。なお,同様の音楽院は,パリのほかリヨンなどにも存在する。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンセルバトアール」の意味・わかりやすい解説

コンセルバトアール
こんせるばとあーる
conservatoire

工芸や演劇の学校をさす場合もあるが、おもに音楽の専門的教育を行う学校をさし、音楽院と訳される場合もある。元来イタリア語のコンセルバトーリオconservatorioは、身寄りのない子供たちを養育し音楽を教える慈善施設を意味し、多くが病院に併設されていたためオスペダーレ(「病院」の意味)とよばれる場合もあった。とくにベネチアにはこの種の施設が多く、ビバルディが教師を務めたオスペダーレ・デッラ・ピエタは有名。のち、ヨーロッパで高度の音楽教育を行い、専門家の養成を目ざす音楽学校をコンセルバトアールとよぶようになった。

[美山良夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンセルバトアール」の意味・わかりやすい解説

コンセルバトアール
conservatoire

音楽・演劇教育機関。語源は,中世の教会に設けられた聖歌隊員の子供たちのための一般教育施設 conservatoriであるが,今日のような専門教育機関としては 1784年に創設されたパリのコンセルバトアールがその最初の例である。その後 18~19世紀にヨーロッパをはじめアメリカ,オーストラリアなど世界各地に設立され,作曲,演奏および声楽,演技など専門的な技術教育活動の中心となった。パリのコンセルバトアールは,1795年に国立の学校として再組織されたのち,1946年演劇部門が分離されて国立高等演劇学校 Conservatoire national supérieur d'art dramatiqueとなり,音楽部門も 57年国立高等音楽院 Conservatoire national supérieur de musiqueと改称されて今日にいたっている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のコンセルバトアールの言及

【フランス音楽】より

…しかしフランス革命は,その思想がベートーベンを鼓舞したにせよ,彼に匹敵する音楽家をフランスに与えるどころではなかった。ただ革命政府は,1795年,既存の施設を基盤にしてフランスの誇るパリの国立コンセルバトアール(パリ音楽院)を新しく発足させた。 コルシカ出身のナポレオンは,パイジェッロ,F.パエル,スポンティーニらイタリアの音楽家をひいきにした。…

※「コンセルバトアール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android