日本大百科全書(ニッポニカ) 「はり師」の意味・わかりやすい解説
はり師
はりし
acupuncturist
鍼(はり)を使用して生体に刺激を与え、患部を改善させたり体調を整えたり、または疾病の予防に用いる施術を業とする者。または、その国家資格。なお「業とする」とは、繰り返し継続する意思をもって施術を行うことをいう。
はり師を規定する法律として「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」(通称、あはき法)(昭和22年法律第217号)があり、医師以外の者で、はりを業としようとする者は、はり師免許を取得しなければならない。はり師免許は、はり師を養成する施設において3年以上にわたり必要な知識と技能を習得し、はり師国家試験に合格した者に対して厚生労働大臣が与える。養成施設には、大学、専門学校、盲学校などがある。はり師ときゅう師では、二つの資格をそれぞれ取得するために国家試験を受験しなければならないが、同時に受験する場合は、はり理論、きゅう理論以外の共通科目については受験者の申請により一方の試験が免除される。はり師を養成する施設はきゅう師もあわせて養成し、同時に国家試験を受験できるカリキュラムを組んでいる。はり師ときゅう師の両方の国家資格をもつ人を通称「鍼灸師(しんきゅうし)」という。はり師またはきゅう師は、医療施設や介護施設などで施術を行うほか、「鍼灸院」とよばれる施設を開設して施術を実施していることもある。
[行田直人 2021年10月20日]
鍼の歴史
現在の鍼の理論体系は、中国最古の医学書とされる「黄帝内経」(こうていだいけい、こうていだいきょう、などとよばれる)を基礎としている(本書編纂(へんさん)の時期については一致した見解が示されていない。紀元前770~220年の範囲と考えられているが散逸し、約1000年前の宋(そう)代に校正を加えたものが現在に伝わっている)。「黄帝内経」の鍼に関する記述は、「素問(そもん)」「霊枢(れいすう)」という巻物にある。鍼の起源は古く、石器時代の古代中国において「砭石(へんせき)」という石でつくられた鍼がその緒である。また砭石以外では動物の骨でつくられた骨鍼なども中国山東省より出土している。その後、鍼の素材には金、銀、鉄などが使われ、現在は一度の使用で廃棄するステンレス製が多い。
現在使われている鍼は約2000年前の中国で治療に用いられた9種類の鍼具を基礎に発展したものとなっており、それらの用途は皮膚表面への刺激、皮膚や筋への刺激、皮膚の切開である。9種類の鍼具のなかで現在とくに広く用いられるのは、皮膚や筋への刺激を目的とした毫鍼(ごうしん)である。毫毛(細い毛)のようであり、鍼尖(しんせん)がきわめて細く、カやアブの喙(くちばし)(口先)のようになっており、裁縫や注射などに用いる「針」とは異なる。注射針が直径0.5~1.5ミリメートル程度の太さであるのに対し、鍼は直径0.12~0.30ミリメートル程度と非常に細くなっている。
日本への鍼の知識は遣隋使(けんずいし)や遣唐使の時代にもたらされ、奈良時代の律令制のなかでは鍼博士という官職が鍼(灸も)を扱っていた。また、現存する日本最古の医学書「医心方(いしんほう)」(平安時代に編纂)のなかに、鍼施術についての記載がある。江戸時代には鍼灸師である杉山和一(わいち)によって、細い鍼をほぼ無痛で容易に生体に刺入することができる筒状の管、鍼管(しんかん)が創作され、現在にわたって日本での鍼施術にもっとも多く活用されている。これを管鍼法という。
[行田直人 2021年10月20日]
鍼による施術
鍼施術では身体の特定の部位に針を接触または刺入するが、この「特定の部位」は一般に「経穴(けいけつ)」とよばれている(単に「穴(つぼ)」ともいう)。中国の戦国時代~前漢時代(紀元前453~200年代といわれるが、統一見解に至ってない)には、身体には「経絡(けいらく)」という人が生きるために必要な要素(気・血(けつ)・水(すい))を巡らせる通路があると考えられていた。そのおもな通路は12本(十二正経という)あり、経絡が合流する場所や分岐する場所、気や血が出入りする場所のことを「経穴」という。はり師は施術判断をするうえで、問診、望診(顔色や舌の色・状態を診る)、聞診(呼吸や声の状態を診る)や切診(脈や異常部位を触り状態を診る)等により、関連する経穴に鍼施術を行う。
[行田直人 2021年10月20日]
鍼に関する国際的な情勢
鍼に関する国際的な情勢としては、1979年にWHO(世界保健機関)が鍼灸治療の適応疾患(43疾患)を発表し、1989年のWHOジュネーブ会議にて「経絡」「経穴」の国際標準名称が正式承認されている。
[行田直人 2021年10月20日]