オランダの化学者。立体化学および物理化学の創始者。1901年第1回ノーベル化学賞受賞者となる。開業医の子としてロッテルダムに生まれる。初めデルフトの工業学校で技術教育を受けるが,純粋化学を志し,1871年ライデン大学に入学する。ここでは,将来の化学の基調とするため主として数学を学び,ボン大学でF.A.ケクレ,パリ大学でC.A.ビュルツに師事して化学を修め,74年帰国。獣医学校の講師をへて,77年アムステルダム大学講師,翌年教授となる。1874年学位修得の直前に発表した論文で,炭素原子価の正四面体構造を提唱して,不斉炭素原子の概念を導き,立体化学の基礎を築いた。その後,熱力学の研究に着手し,84年出版した《化学動力学の研究》で,反応速度論,化学平衡論,化学親和力に熱力学をひろく適用し,化学反応の基本理論を体系化した。87年には,浸透圧の実験から,気体と希薄溶液の類似性を見いだし,溶液論を確立し,理論化学に大きな貢献をもたらした。96年ベルリン大学教授としてドイツに招かれてからは,シュタスフルトの岩塩鉱床の成因を相律的な観点から研究した。また,1887年には彼とならんで物理化学の建設者として名高いF.W.オストワルト,S.A.アレニウスと協力して《物理化学雑誌Zeitschrift für Physikalische Chemie》を創刊。
執筆者:神崎 夏子
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…天然産のものに比べて安価で品質が一定していた合成染料はほどなく市場から天然産染料を駆逐し,化学工業時代の幕が開いた。 もう一つの大きな飛躍はJ.H.ファント・ホフとル・ベルJ.A.Le Bel(1847‐1930)によってなされた。彼らの唱えた炭素正四面体説(1874)は,分子内の原子の配列を三次元的にとらえる立体化学の基礎となった。…
…このように,不斉炭素原子は光学活性をもつための十分条件ではない。J.H.ファント・ホフとJ.A.ル・ベルは光学活性と分子の構造を議論した際,アレンのように不斉炭素のない系でも光学異性がありうることを予言したが,その予言は1936年メートランドP.Maitlandらによって確認された。不斉軸をもつ化合物の一群はそれ以前に発見されている。…
…これによって,有機化学は脂肪族,芳香族の二つの流れをたどることになった。J.H.ファント・ホフとJ.A.ル・ベルによる炭素正四面体説の提出は,この建設期の掉尾を飾る発見であった。この後の約50年,有機化学の発展の第2期は,人名反応の時代といえよう。…
※「ファントホフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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