ワイアット(読み)わいあっと(英語表記)Sir Thomas Wyatt

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイアット」の意味・わかりやすい解説

ワイアット(John Wyatt)
わいあっと
John Wyatt
(1700―1766)

イギリス発明家。L・ポールに協力して発明した紡績機で知られる。スタッフォードシャーのリッチフィールド付近で生まれる。大工修業をしたのち、バーミンガムで金属加工業に従事、やすり製造器具、大砲穿孔(せんこう)機などを考案した。1732年から1746年までポールに協力して紡績機の開発、製作にあたり、一時、バーミンガムで紡績工場の経営も担当したが、事業は成功しなかった。紡績機の発明における両者の役割については諸説があるが、基本的着想はポール、細部の仕上げはワイアットとするのが至当である。紡績業から離れたのちもバーミンガムに居住、各種の発明、考案があるが、車両の重量測定用の大型計量器は有名である。

[水野五郎]


ワイアット(Sir Thomas Wyatt)
わいあっと
Sir Thomas Wyatt
(1503―1542)

イギリスの詩人ヘンリー8世宮廷に仕え、スペイン大使などを務める。大陸のルネサンス文化にじかに触れて刺激を受け、サリー卿(きょう)とともにペトラルカの創始したソネット形式(十四行恋愛詩)を初めてイギリスに移植した。ワイアットにはイギリス土着の古い詩形の試みもあり、その詩業はイギリス最初の詞華集『トトルズ・ミセラニー』Tottl's Miscellany(1557)に収められた。

[河村錠一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイアット」の意味・わかりやすい解説

ワイアット
Wyatt, Sir Thomas

[生]1503. メードストン近郊アリントン
[没]1542.10.6. シャーバン
イギリスの詩人,外交官。Wyatとも記す。ヘンリー8世に重用され,外交使節として大陸諸国に派遣された。王妃アン・ブリンとのかつての関係から,またトマス・クロムウェルの同調者として 2度投獄された。イタリア詩を翻訳してソネット形式を初めてイギリスに紹介,二行連句で終わるイギリス風のソネットを創始し,サリー伯とともにエリザベス朝抒情詩の先駆者となった。しかし最高の作品は,イギリス詩本来の語法で書かれた,やや不規則な韻律の抒情詩である。個性が強く出ていることも当時としては異例で,各種の作品 96編が,死後,『トトル詩選集』Tottel's Miscellany(1557)に収められた。

ワイアット
Wyat, Sir Thomas, the Younger

[生]1521頃
[没]1554.4.11.
イギリスの軍人,反乱指導者。ケントの豪族の出。 1543年より数年間,フランスその他大陸で軍務に服し,帰国後,51年ケント長官。 53年メアリー1世とスペインのフェリペ2世の結婚に反対する反乱を計画し,翌年2月 3000の軍勢を率いてロンドンに迫ったが,失敗し処刑された。メアリーを廃位して J.グレーを即位させる計画であったため,グレーは夫とともに処刑され,王女エリザベス (のちのエリザベス1世 ) も連座の疑いでロンドン塔に投獄された。

ワイアット
Wyatt, James

[生]1746.8.3. バートンコンスタブル
[没]1813.9.4. マールバラ近郊
イギリスの建築家。早くから才能を認められてイタリアに留学 (1762~68) ,帰国後まもなくロンドンのパンテオン (72,1937解体) を設計し一躍名声を博した。初め古典主義的様式を好み,ヒートン邸 (1772) ,オリエル・カレッジ図書館 (88) などを設計。のちゴシック様式に向い,フォントヒル・アベイ (96~1807) ,アシュリッジ・パーク (06~13) などを建てた。ソールズベリー大聖堂など多数の聖堂や宮殿などの修復や改修にもたずさわったが,考古学上の不正確さから「破壊者ワイアット」とも呼ばれた。

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